H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

「人類が神になる日」byデニケンから、そして・・・秘密教義・宇宙発生論スタンザより・・・

   「人類が神になる日」 E.V. デニケン著 ーーより引用

 

第三章    千の神々の国インド

 

 ブラヴァツキーのシークレット・ドクトリンはセンセーションを巻き起こした。理由は作者が前書きで、自分が利用した出典は部分的には、今でもチベットの地下納骨堂に隠されているチベット語の文献から取ったと明言したからだ。ブラヴァツキー女史は文献の隠し場所まで明記したが、当時の人々は裏づけ調査もせずに、彼女を嘲笑した。

 

 「シークレット・ドクトリン」の本質はチベット語に翻訳したサンスクリット語の仏教経典である「チベット大蔵経」で、その成立年代は不明だ。つい最近まで、この聖なる書物は象徴的な文字のために理解されず、意味がないとまで考えられた。今日少なくともわかっているのは、「大蔵経」が予言者とか無数の神々の一人とかではなく、太古のチベットの伝承を知られている限りでまとめた物とされる。カンギュル書は全108巻、テンギュル書は225巻ある。

 

 書物は幅1m、厚さが10ないし20cm、長さが15cmの木に刻まれている。今までに訳が終わったのは百分の一に過ぎないが、それでも神々や神々の地上での事蹟について多くを伝えている。この書物ができた時代はわからないが、世界で最も古い書物かも知れないと言われており、「大蔵経」の教えがヒマラヤを越え、日本や中国、インドまで伝わったとされる。「大蔵経」で今日まで意味が明らかになっている部分はサンスクリット語に訳されたものの中に何千とある。

 

 

 ブラヴァツキーの神秘学は秘教主義者の協会と神智学協会によって尊重されているが、今でも盛んに批判されている。物質だけに立脚した科学は「大蔵経」の内容を受け入れられない。私も(デニケン)初めは懐疑的だったことを隠すつもりはない。何故か私が今では違った目でみているか、それについては次に説明する。

 

 

 我々の現在の技術水準をもってすれば、宇宙に大きな人間居住区を作り、無限の時間をかけさえすれば、一つの太陽系から別の太陽系に旅行できるエンジンを作ることはもうすぐ可能だろう。巨大な宇宙ステーションの形は、人工的に重力を作り出さなければならないから、おそらくゆっくりと自転する巨大な車輪の形になるだろう。私が第一章で未来の宇宙生活者はいささか宗教的にかぶれた所がある、自分たちが信じる教えを宇宙に広めたいという気持ちがある人々だろうと紹介したが、これは理由がないことではない。宇宙旅行は宇宙ステーションの人間の一部が深い眠りについている間にも続けられるという考えは、決して無茶ではないし、実際に考えられることである。乗組員の一部や乗客の大部分が眠れば、第一に食料とエネルギーの節約ができる。数百万個の受精卵が太陽系の近くにある宇宙ステーションの中の人工子宮で誕生を待つということも可能だろう。

 

 

 これらは全て「大蔵経」の本に書いてあることばかりだ。いつともわからない大昔に、これまた誰とも名前すらわからない人が書いているのだ。研究家が将来実現可能な宇宙居住空間を計算に入れれば、彼らにとって不可能とおもわれる文章も少しは理解できるのではないだろうか。

 

 以下、「大蔵経」からニ、三引用してみる。『宇宙の進化』は次のように書かれている。

 

 【第一節】

 

―――時というものがなかった。時は持続という無限の母胎の中で眠っているからだ。

―――暗闇だけが無限の宇宙を満たす。父、母、息子は再び新たに一つになるからだ。そして息子は新しい車輪のため、そして車輪の旅のためには目覚めていなかった。

―――生命は無意識のまま宇宙空間で脈動している。

―――しかし宇宙のマラヤがパラマルタにいた時、そして大きな車輪アヌパーダカだったとき、ダングマはどこにいたのか。

 

【第二節】

 

―――家を建てる者たち、あの明け行くマンヴァンタラの光り輝く息子たち、形のないもの、すなわち世界の根から形を作り出した者たちはどこにいたのだ。時間はまだ来ていない。光線のひらめきはまだ芽の中まで届いていない。マトリパドマーはまだふくらんでいない。

 

【第四節】

―――汝ら地上の息子たちよ、汝らの教師に耳を傾けよ。火の息子たちよ。最初も最後もないことを学べ。なぜならばすべては数ではない物から生じたたった一つの数字だからだ。

―――我々、原初の七つから生まれた者、原初の炎から生まれた者が何を父親たちから学んだかを汝らは聞くが良い。

―――永遠の闇からして来る光の全体から空間の中に再びよみがえったエネルギーが飛び出した。

 

【第五節】

―――彼が仕事を始めるとき、かれは下の方の国の火花を分ける。火花は喜びに打ち震えなから、その光り輝く住居の中に漂っている。そしてこの住居から車輪の芽が出来上がる。彼は車輪を空間の六つの方角に置き、一つを真ん中に置く。これが主なる車輪だ。

―――光の息子たちの群がどこの隅にもいる。そしてリピカが真ん中の車輪にいる。彼らは言う、これは良いと。最初の神の世界は出来上がった。

 

【第六節】

―――最後に七つの小さな車輪は回り、一つの車輪が他の車輪を生み出す。

―――彼はそれらを昔の車輪の似姿として作り出し、それらを消え去ることのない中心点として固定した。

―――ところで彼らをフォーハットはどのようにして作ったのか。フォーハットは火の埃を集めている。

   彼らは火の玉を作る。その中を走り抜け、その周りを走り、そして彼らに生命を吹き込む。それから彼は彼らを動かし、これをこちらの方向に、あれをあちらの方角に動かす。

―――第四の方角では息子たちに彼らと同じ形をしたものを作るようにと命じた。彼らは悩み、悩みの種を作るだろう。これが最初の戦いだった。

―――古い車輪たちは上がったり、下がったりして回る。母の卵はすべてを満たす。創造者と破壊者の間でいくつもの戦いが起こり、空間を巡って戦いが起こる。種が現れ、常に新たに現れる。

  

 以上が、『人類が神になる日』の206〜2010頁から抜粋し、引用した文です。

   

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 ◎次に、「大蔵経」とブラヴァツキー夫人のシークレット・ドクトリン(S.D)第1巻宇宙発生論のスタンザを(私ーaquamarithの翻訳で)比較して見ることにします。

 

大蔵経 第一節】

 ―――時というものが・・・・・以下、上記参照

 ―――暗闇だけが無限の宇宙を・・・・・以下、上記参照

 ―――しかし宇宙のマラヤが・・・・・以下、上記参照

 

【S.D スタンザ 1】

  2. Time was not, for it lay asleep in the infinite bosom of duration.

   時間はなかった、それは継続の無限のふところで眠っていたからである。

  

  5. Darkness alone filled the boundless all, for father, mother and son were once more one, and the son had not awakened yet for the new wheel, and his pilgrimage thereon.

  暗闇だけが果てしないすべてを満たしていた、父と母と息子は再び一つとなったからである、息子は新しい輪(車輪)とその輪での彼の巡礼の旅にまだ目覚めていなかった。

 

  9. But where was the Dangma when the Alaya of the universe was in Paramartha and the great wheel was Anupadaka?

  しかし、宇宙のアラヤがパラマルータのなかにあり、偉大な輪(車輪)がアヌパーダカであった時、ダン・マはどこに在ったのだろうか?

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上記の「第一節」だけ見ても酷似している。以下S.D スタンザのみを抜き出します。

 

【S.D スタンザ 2】

1.. . . Where were the builders, the luminous sons of Manvantaric dawn? . . . In the unknown darkness in their Ah-hi Paranishpanna. The producers of form from no-form — the root of the world — the Devamatri and Svabhavat, rested in the bliss of non-being.

 

....建設者達、つまりマンヴァンタラの夜明けの輝かしい息子達は、どこにいたのか? ... 彼らのア・ヒ的パラニシュパンナの未知の暗黒の中に。無形体即ち世界の根から形体を作る者、デーヴァマートリとスヴァバヴァットは非存在の至福の中で休息していた。

 

【S.D スタンザ 4】 

  1. . . . Listen, ye Sons of the Earth, to your instructors — the Sons of the Fire. Learn, there is neither first nor last, for all is one: number issued from no number.

 ・・・汝ら、大地の息子たちよ、火の息子たちである指導者たちに耳を傾けよ。そこには初めもなく終わりもないことを学べ。すべてが1なる数であり、数のないところから数は生じたのだ。

 

  1. Learn what we who descend from the Primordial Seven, we who are born from the Primordial Flame, have learnt from our fathers. . . .

 原初の七者から降ろされた原初の炎から生まれた我々は、我が父たちから学んだことを学べ。

 

  1. From the effulgency of light — the ray of the ever-darkness — sprung in space the re-awakened energies; the one from the egg, the six, and the five.・・・・

 光即ち永遠の闇の光線の輝きから、再び呼びさまされたエネルギーが空間のなかで跳ね返り、即ち卵から1つが、6つと5つが。・・・・以下省略

 

【S.D スタンザ 5】

  1. He is their guiding spirit and leader. When he commences work, he separates the sparks of the Lower Kingdom that float and thrill with joy in their radiant dwellings, and forms therewith the germs of wheels. He places them in the six directions of space, and one in the middle — the central wheel.
  1. 彼(フォーハット)は、彼ら(火花たち)の指導霊であり導き手である。フォーハット(宇宙電気)は仕事を始める時、低級界の火花(鉱物原子)を分離する、その火花は自分達の輝かしい住居(ガス状の雲)の中を漂い、喜びでふるえる。そしてフォーハットはそれらで輪〈車輪〉の胚種をつくる。彼はそれら輪〈車輪〉の胚珠を空間の六方に置き、一つを中央に置く・・・・中心の輪〈車輪〉である。

 

【S.D スタンザ 6】

  1. The Swift and Radiant One produces the Seven Laya Centres, against which none will prevail to the great day “Be-with-Us,” and seats the Universe on these Eternal Foundations surrounding Tsien-Tchan with the Elementary Germs.

すばしこく輝かしいフォーハットは七つのラヤ中心をつくる。“我々と供にあれ”という偉大な日までは、その中心にまさるものはいない。フォーハットは元素の胚種でシエン・チャン(宇宙)を包んで、七つのラヤ中心という永遠の土台の上に据える。

 

  1. He builds them in the likeness of older wheels, placing them on the Imperishable Centres. How does Fohat build them? he collects the fiery dust. He makes balls of fire, runs through them, and round them, infusing life thereinto, then sets them into motion; some one way, some the other way. They are cold, he makes them hot. They are dry, he makes them moist. They shine, he fans and cools them. Thus acts Fohat from one twilight to the other, during Seven Eternities.

  彼は古い輪〈車輪〉に似せてそれらをつくり、それらを不滅の中心に据える。フォーハットはどのようにしてそれらをつくったのか?彼は火の塵を集め、火の球をつくり、その中を通り抜け回転させる、そこへ生命を注いで、動きのなかに一つの方法や他の方法でそれをすえる。それらは冷たく、彼らはそれらを熱くする。それらは乾いており、彼はそれらを湿らせる。それらは輝き、彼はそれを扇いで冷やす。このようにフォーハットは黄昏から次の黄昏まで、七つの永遠の間動く。

 

 ———スタンザからの引用終わりーーー

 

 そして、デニケンはこう書いている・・・ここで考えられる批判は、「大蔵経」の出典が正しいかどうか、チェックできないでは無いかということではあるまいか・・・

 

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◎とされていましたが、近年「大蔵経」はデータベース化されてきているようです。以下のサイトは研究者向けのようです。

  大正新脩大藏經テキストデータベース ホーム - 大正新脩大蔵経 - 東京大学

    http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

 

 Wikipedia

  チベット大蔵経 - Wikipedia

 

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 ☆その他気になった・貝多羅経典について

 

シークレット・ドクトリン第1巻プロエムより。

 太古の文書―それはシュロの葉を集めたものに、未知の特別な過程により水、火、空気に侵食されないように加工して作られていた―その文書が筆者の目の前にある。

(AN ARCHAIC MANUSCRIPT — A COLLECTION OF PALM LEAVES MADE IMPERMEABLE TO WATER, FIRE, AND AIR, BY SOME SPECIFIC UNKNOWN PROCESS — IS BEFORE THE WRITER’S EYE. )

 

◎この「シュロの葉を集めたもの」はシュロ科植物に経典を書写したものでしょう。おそらく貝多羅(ばいたら)経典とよばれるもので、サンプルは以下のサイトで参照できます。

               

 

  • 明治大学図書館 『図書の文化史』 解説・目録

http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition/gallery/06/pamphlet.html

 

『図書の文化史』 解説・目録より

 

 

2 貝多羅(ばいたら)経典 書写年不明 46×6cm  貝葉数量: 73葉       183.81/2//H

 

 貝多羅に経典を書写したもの。貝多羅とは梵語pattraの音訳語で、「樹木の葉」の意味だが、特に文字を記すのに用いられる多羅樹の葉のこと。古来インドなど南アジアで紙が流通する以前より、ヒンドゥー教や仏教の聖典書写に用いられた。貝多羅を乾燥させて、葉面に針(鉄筆)で経文を彫り、その跡に「すす」を流すと黒褐色の文字が残る。幅5-6cm、長さ30-60cmに裁断、書写した経典を夾板(きょうばん・書物を保護するため、2枚の板で書物を挟み紐で結ぶもの)で押さえ、左右の小穴に紐を通してしばり、書冊にして保存した。

 

 

  • 東海大学HP <古代の印字法と紙以外の素材>

http://www.tsc.u-tokai.ac.jp/ctosho/lib/tenji/35th-2.htm

 

  貝多羅葉本 (ばいたらようほん)

 インド周辺や東南アジアの動物を神聖なものとしている地域では、動物の皮で書物をつくることは行われなかった。代わりにこれらの地方では、多羅木とよばれるシュロ科の植物の葉を適当な大きさに切り、その上に経文などを記して何枚も重ね、上下に木版等をあてて両端をひもでとじた書物がつくられた。貝多羅とは「木の葉[Pattra]」のことである。

 

             出版年不明                         貝多羅葉本

              

 「貝多羅葉」(ばいたらよう)は梵語pattra葉のことでシュロの葉に似て厚くて固い。これに古来インド周辺の地域では鉄筆などで経文を彫りつけた。

 

 終わり。

 

 ◎原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol,1】 を参照しました。

 

 ◎人類が神になる日―デニケンの宇宙文化人類学、206〜2010頁』 を引用しました。