H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

【秘密教義】 第2巻 第3部ー6章 歴史に痕跡を残す巨人族、諸文明、そして海面下の諸大陸。(その2)

  <<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>

    ーー七つの安息日。ーー 類人猿は人間の後。ーー

 

シークレット・ドクトリン【秘密教義】 第2巻 第3部 6章

                       H.P.ブラヴァツキー 著

 

 

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  七つの安息日

 

 “人の古さ”を示す明白な証拠は、たとえ教会であっても、降伏と後退を準備せざるを得ないであろう。ソルボンヌの博学なアッベ・ファブレ教授は、有史以前の第三の地層で古代の古生物と考古学上の発見がなされる可能性はあるが、そのことが聖書に対して、いかなる害も及ぼさないと断言した…. それは彼らも好むプレ・アダマイトの人の痕跡である。“それは最後の大洪水の前(アッベによると、堆積層を生じたもの)にあるすべての創造物を無視する、聖書の啓示は我々に対して鮮新世と始新世の灰色の堆積層においてであっても、人が存在したことを自由に認める。” しかし一方で、地質学者は、これらの原始的な時代に地球に住んでいた人たちを我々の先祖としてみなして合意しているわけではない。(*9)

 

 教会にとっての、その唯一の救いが聖書の隠された(オカルト)解釈においてであることがわかる日は、想像以上に離れていないだろう。すでに大修道院長と聖職者は熱心なカバラ主義者になっている、多くが闘争の場に公然と現れる、そして、その場を聖書の形而上学的解釈を支持する神智学者そしてオカルト主義者が突いて壊しているが、残念なことに彼らは間違った終わりから始める。

 

 彼らが聖書のなかの形而上学的なものについての思索を始める前に、純粋に形而下的なもの例えば地質学的、民族学的な手掛りを研究し習得するように忠告される。 地球の七つの構成をほのめかし、人の七つの周期と諸種族をほのめかす記述は旧約聖書そして新約聖書にも溢れており、その両方を象徴的に読む者にとってその教えは、あたかも天にある太陽のように見える。

 

 レビ記23章15節の教えは何に当てはまるのだろう? このような毎週ごとの供物と象徴的暦の計算という行為の哲学的理由は何であろうか、“汝らは数える….安息日の翌日から….‘波(wave)’の奉献物の束を持ってきて、七つの安息日が完了する。” (15節)、”そして汝らは、傷のない七匹の子羊をパンと共に捧げなければならない”(18節)などなど、すべてのこれらの“波(wave)”と“平和” の諸奉献物が神秘の七つの“安息日”の記念物であったと我々が言うとしたら、その安息日は七つのプララヤのことであり、七つのマンヴァンタラの間にある周期のことである、あるいは我々が周期とよぶ、“安息日”は何らかの自然の休止期間を意味する順応性のある言葉であると、他の場所で説明したら間違いなく我々は否定されただろう。(第II部、「七月の節」)

 

脚注———————————————

 (*9) “地球と人間の起源、”454頁。トゥールーズのN.ジョリー教授はこれに対して、アッベの“金属文明以前の人間”を引き合いに出す、それはM.ファーブルが彼の“この最後の点で彼と異なる”そのことを許すことを希望していることを表す、186頁。そして、オカルティストもそう同意する、しかし彼らは今まで進化してきた5つの種族の生理学と外見は大きな違いがあると主張しているにもかかわらず、現在の人間の種族は共通の祖先あるいは先祖である“神聖な人々”から進化したひとつの、同一の原始的な血統に由来していたと主張するのである。

 

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 これが十分に決定的でないならば、我々は続く(16節)に付け加わっている詩句に目を向けるだろう、 “汝は七回目の安息日後の翌日まで五十日を数えるだろう”(49、7×7、 活動の段階、そして、連鎖の七つの地球の上の49の休息、そして50番目に安息日の休息が続く)、 その後、“汝らは主に新しい肉の供物を献げるだろう。”すなわち汝ら自身の肉体の、あるいは“皮膚の外套”の供物を造り、汝の体を脱ぎ捨てるならば、汝らは純粋な霊にとどまるだろう。

 

 この供物の律法は最初期のアトランティス人からの慣習であり時代の経過とともに劣化し具体化した、この律法はカーストの“賢者”である“カルデア人”を経由して、国からではなく、以前にバビロニアに住んでいた“蛇の穴”から来た偉大なアデプトたちの共同体から伝わったのである。そして、レビ記(人を迷わしたマヌの法則に満ちている)からの、この解釈があまりにも不自然であると分かったならば、ヨハネの黙示録にもどるのである。

 

 不敬な神秘主義者は、ヨハネの黙示録の有名な第17章の紫と緋色の衣を身に着けた女性の謎を、あらゆる解釈をする可能性がある、“神秘、バビロン大王、地球の忌まわしき者たちと売春婦たちの母”を読んだローマカトリック教徒たちになびくプロテスタント教徒たち、あるいはローマカトリック教徒たちがプロテスタント教徒たちを幻惑したかのどちらかに関わらず、秘教主義者たちは公平な立場で、これらの言葉は最初からすべての顕教のクリスチャニティ(教会主義)である古い“儀式の魔法”であり、恐ろしい影響をともない、儀式的な崇拝の道化芝居(ゆがんでいる)に該当するという意見を述べる。

 女性の“神秘”そして獣の“神秘”は、教会主義および迷信上「魂の殺害」の象徴である。 “そうであった獣、そうでない獣、まだそうである獣”、“ここには智慧のあるマインドがある。7つの頭(頂上)は、女性が座っている7つの山(7つの大陸と7つの種族)であり、”全ての通俗的で野蛮な偶像崇拝の信仰の象徴は “聖人たちの血と殉教者たちの血”という抗議した人々、抗議する人々という象徴を覆い隠したのである。

 

 “そして、七王(七人種)があり、五王が滅び(我々の第5人種を含む)、そして1王が(第5王が継続)、他の王(第6人種と第7人種)はまだ出現していない. . . . そして彼(人種”王“)が来るとき、彼は短期間の続行を余儀なくされねばならない”(10節)。 そのような黙示録的な暗示は多くあるが、学徒は自分自身でそういった事を見破らなければならない。これらの5王については以前に言及されていた。

 

 聖書が考古学と地質学と組み合わさるならば、そして人間の文明が3つの多少異なった段階を経ていたことを示すならば、ヨーロッパの、アメリカとヨーロッパの両方の人が、アジアと同じように、少なくとも地質学的な時代から始まるならば、なぜシークレット・ドクトリンについての記述は、考慮してはならないのだろうか?より哲学的、論理的で科学的でもあるアルバート・ゴードリー氏が、有名なシナイ・フリント(*10)(火打ち石)が中新世の人“ドリオピテクス属猿によって彫られた”と信じている、しかしそのような状況でオカルティストと共に、人類の後に擬人猿が誕生したと信じることがあるのだろうか?

 

脚注———————————————

 (*10)“シナイ・フリントは、人間の手による仕事の紛れもない痕跡を残している。”(G.デ・モルティレッテ、“プロムナード・オー・サン・ジェルマン・デ・プレ博物館”、76頁。)

 

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  類人猿は人間の後。

 

  “中新世の中期には、現存する哺乳動物の種類と同一の種がひとつも存在しなかった”(アルバート・ゴードリー“地質学的時間での動物世界の配列”240頁)ということが、かつては認められ科学的な証明されたならば、その"人"は今の"人"と同じであったということである、ただ我々よりも身長が高く、運動能力があった、(*11) このことのどこが難しいだろうか?人が猿の子孫ではありえなかったし中新世時代以前に猿の起源をたどる事ができなかった、一方そのことは数人の著名な自然主義者によって証言されていたのである。

 

  “従って、石の武器で巨大な巨獣と戦わなければならなかった第四紀層時代の野蛮人に関して、我々が見つけたことは、全ての頭蓋骨の特徴が一般的に素晴らしい知的発達の徴候をもっていたことである。”(ド・カトルファージュ、“人間の諸人種”312頁)

 

 我々が学識のあるアッベ・ブルジョア(下記参照、脚注(†12))を信じるならば、頭が悪い狭鼻猿の祖先から自発的に、"人"が知性と知恵を授かって現れない限り、"人"は中新世時代の期間にそのような頭脳を得ることはできなかったこととなる。

 

 巨人の問題に関しては、これまでにヨーロッパで発見された化石の中で最も背の高い人間は"マントン人"(6フィート8インチ)であるが、他の人間の化石はまだ発掘される可能性がある。 リボックが引用したネイソンは、“新石器時代の墓の中で. . . . 驚異的な大きさの骨格が1807年に発見された”と述べ、それはスコットランドのアルバス・マクガルドス王に帰すると述べた。

 

 そして、我々の時代に7フィートから9フィートや11フィート程の身長の男性や女性を時折見つけるならば、これは先祖返りの法則または祖先の特徴の再現である、最新のインドヨーロッパの人種でさえ、9フィートと10フィートが人類の平均的な高さだったときがあった。

 

 ところで主題が他の箇所で十分に扱われたので、我々はレムリア人とアトランティス人に関する事柄に進むか、あるいは古代ギリシア人と現代人がこれらの初期の人種の何を知っていたのか、そして現代人が何を知っているのかを見ていくだろう。

 

脚注———————————————

 (*11) ペリゴールのトナカイ・ハンターといえば、ジョリーはつぎのように言う“トナカイたちは、骨格が強く、大きな体格と強靭な体力があった. . . .”、その他(“金属時代以前の人間”、353頁)。

 

 (†12) “ボースの湖の岸辺で”、アッベ・ブルジョアは次のように述べた、“絶滅した(アセラテリウム (哺乳綱奇蹄目サイ科)、バク、マストドン)動物たちのなかで人は生きていた。オルレアネの河流の作用で出来た砂とともに、"人"の姿をした猿(プリオピテクス・アンティクエ)はやって来たのである、したがって"人"の存在以後に来たのである。”(パリで1867年の“有史以前の歩み”の説明解釈を参照。)

  

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 トロイア時代の、ギリシア人祖先の子孫であるエジプトの聖職者によって言及された偉大な国家は、アトランティックの人種によって破壊されていたのであり、その人種は確実に旧石器時代の野蛮人である。それにもかかわらず、すでにプラトンの時代には、聖職者と秘儀参入者たちを除いて、誰も先行する種族の明確な追憶事を保存していないようである。

 

 最初期のエジプト人は、時代に応じて、最新のアトランティスから分離された、彼らは見知らぬ人種からの出身であり40万年前(*13)にエジプトに入植したが、彼らの秘儀参入者はすべての記録を保存していた。 ヘロドトスの時代にもかかわらず、彼らは小アトラント-アーリア亜人種を統治した341人の王の像を所有していた(後者の “エソテリック・ブッディズム”、第5編、66頁)。

 

 各々の王の統治の平均的な数字を20年としか許容しないならば、エジプト帝国の期間は、ヘロドトスの日から約17,000年後に戻されなければならない。

 

 ブンゼンは大ピラミッドの古さを2万年と認めた。より近代の考古学者は、それを5,000年以上だと認めないが、最大6,000年であるとは認める、だが気前よく、テーベと、その百の門には建造の日から7,000年も経っていると認めている。 それでも、エジプトの聖職者を示す記録がある。秘儀参入者たちは、北西方向に、陸路でジブラルタルの海峡を経由し旅をした。そして 北部を回って、ガリア南部の将来のフェニキア人の集落を通って旅をしていた、その後、陸路でさらに北部、カルナック(モルビアン)に到着するまで彼らは再び西に向かい、到着した、引き続き陸地で旅をして、新大陸の北西部の岬に移動した。(†14)

 

 彼らの長旅の目的は何だったのか? そのような視察旅行の日程はどのくらい前に決めなければならないのか?古代の記録によれば、来るべき世代の遺骨の灰のための貯蔵所としての役割をもつ、石の途方もないゾディアック(獣帯)状のドルメンとメンハルを造り、墓の監督を目的として、アーリア民族の親族の第二亜人種の秘儀参入者たちが、ひとつの地から他へ移ったことを示していた。それはいつだったのだろう?彼らが陸路でフランスからグレートブリテンへ渡った事実は、そのような旅行がテラ・フィルマ(最初の地)で実行された日付についての考えを与えるのだろう。

 

脚注——————————————

 (*13) “ナイルバレーの石の多い土地で調査をする際に、2つの焼かれた煉瓦が発見された、煉瓦の1つは深さ20ヤードで、もう1つは深さ25ヤードで発見された。年間堆積物の厚さを1世紀あたり8インチの河川で形成されると見積もると(より慎重な計算では1世紀当たり3~5インチしか示されていない)、我々は最初の煉瓦に12,000年、二番目の煉瓦に14,000年を割り当てなければならない。同様の計算によって、バーマイスターは、エジプトの土地に最初に人が出現してから72,000年が経過したと考えている、そして、ドレイパーは、最後の氷期を目撃した人は、250,000年以上も古いヨーロッパ人に属していると考えている。” (“金属時代以前の人間”、183頁。)エジプトのゾディアック(獣帯)は75,000年以上の観察を示している! (さらに見ると)バーマイスターはデルタ人口についてのみ言及していることにも注意すべきである。

 

 (†14)当時はまだ大陸から離れていなかった英国の諸島に関して、“古代ピカルディの古代の住民は、海峡を越えずに英国に入ることができた。 英国の諸島は以後、水没していた峡谷によってガウルにつながった。” (“金属時代以前の人間”、184頁)

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(続く)

 

                   

 原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine  Vol. 2  】 を参照しました。