H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

神智学の大海  序文

 <初版1893年発行>

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      序 文

 本書では、ごく普通の読者が理解できるように神智学について述べることを試みている。大胆な主張というものは作者の知識に基づくが、それと同時に、書かれていることへの責任が、作者自身にあることは明確に理解されるべきである、神智学協会、およびそのメンバーたちの中には、本書の中で述べられていることや、私が設定したものを受け入れない者もいるかもしれない、即ちそれは、それほど良い神智学徒もいないということである。各章にいきわたっていると考えられる、定着した論調の傾向は、ドグマ的、あるいは奇抜な考えの結果ではなく、証拠および経験に基づく知識からの流れである。

 神智学協会のメンバーたちは、特定の理論や教義が行なわれていないことを認識するであろう。なぜならば、それは彼らが不当に本の内容を拡張し、不必要な論争を起こしてしまうような扱いをした為である。

 「意志」の主体は、その力や能力が隠されており、微妙で、エッセンスとしては発見できず、可視なだけであるため、論じられてはいない。それは絶対的に色が無く背後の欲望に一致して道徳的な質が変化する、即ち、それは我々の知識なしで頻繁に変動する。それは霊性と欲望から離れたその中で、人間の下のすべての王国で作用するので、それを尋ねることによって得られるものは何もないのである。

 この本の独創性を私は主張しない。私はそれを考案しておらず、まして見つけ出してはいない、私が教えられ、そして立証されたことを単に書きとめただけである。したがって以前から知られていたものを差し出すだけのことである。

    ウイリアム・クァン・ジャッジ

 

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 ☆当ブログ管理人より、神智学協会の分裂についての簡単な説明をします、1891年、ブラヴァツキー夫人(以下敬称省略)が亡くなり、後継者としてアニー・ベサント(1889年神智学協会に入会)が指名されたといわれていましたが、後継者をめぐり権力闘争になりました。

 1895年、米国のW.Q.ジャッジはインドのH.S.オルコットとA.ベザントと決別し、ジャッジは「米国神智学協会」を設立し神智学協会は分裂しました。その分裂以降、オルコットとベサントの率いるインド、欧州の派閥はアディヤール派と呼ばれるようになりました。

 1896年、米国神智学協会を率いたジャッジが死去し、キャサリン・ティングリーがその運営を引き継ぎ、ポイント=ローマ派と呼ばれるようになり、現在は神智学協会パサディナと呼ばれています。 <ウイリアム・クァン・ジャッジ(1851年4月13日 –1896年3月21日)>

 ☆ウイリアム・クァン・ジャッジ著「神智学の大海」の邦訳は、他の方がブログに掲載されておられましたが、残念なことに一般公開が中止になっています、そこで当ブログで序文や概略を翻訳して掲載することにしました。尚、本文は後日掲載するかもしれません。

 

 ☆ネオ神智学 (分裂の経緯がわかりやすい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6