H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

【秘密教義のオカルティズム】 — 第25章 東洋と西洋のオカルティズム 他—(その2)

  <初版1897年発行>

 

     シークレット・ドクトリンのオカルティズム

            第3巻 ― 第25章

 

 

                     H.P.ブラヴァツキー 原著

 

                                                         アニー・ベサント 編著

 

                  <[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>

 

                     <[各単語等] はaquamarithによる追補>

 

◎大いなる深み

 すべてのこのことは非常に巧妙であるが、極めて難解であり不正確である。フランスのカバリストの“暗い深淵の上方にがあった”という最初の文が影響して、正当な本筋から学生を引き離してしまう。これは東洋の弟子ならば一目で見抜くであろうし、世俗人であっても気がつくことがあるだろう。というのは、もしトフ-ヴァー-ボフが“下方”であり、が“上方”にあるならば、このふたつはお互いにまったく別のものだからなのである。(ここまで、25章—その1の最後の数行を転載) 

 

 この意見は、宇宙発生論におけるスピリット(霊)と自然を全く変えてしまう、それを顕教創世記のレベルにまで押し下げる、おそらく目に見える結果と記述だけに、非常に重要である。トフ-ヴァー-ボフは、“大いなる深み”のことであり、“混沌の水”そして原始の暗闇と同じである。さらに事実を述べると、それは驚異的な世界を除き、分けることができない 大いなる深みと“”である、― それらは空間において制限され、その資質に関して条件づけられる。

 すなわち、唯一永遠で神聖な元素、およびその単一性および絶対的な均一性は、唯一真実のオカルト哲学の基本原理を指し示す、-- 従ってエリファスの、こういった秘教哲学の最後の言葉を隠すような願望はうまくいかない、意図的かどうかということは重要ではない--彼はで男のを作る。

そして、彼は以下のように言う:

 

 より上方に、エロヒム[創造的なディヤーニ・チョーハン]の強力なは、あった。より上方には現れた、そして、より上方にことばがあり... それが、それを創った。

 

 だが実際には、これはまさに反対である: 原初の光ことばあるいはロゴスを創り、それが今度は物理的な光を創ったのである。

次の図は、彼自身(エリファス)の発言を挙げたものである:

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図1上から{ことば→光→息→水→暗闇}

  今や、これを見た東洋オカルティストは、これを左手の魔術の図だと躊躇せず断定する。宗教的な理解では、ドヴァーパラ・ユガとは第三番目の段階を表している、唯一の本質が男と女(雄と雌)に分離した時には、人類はカリ・ユガをもたらす物質性への転落に近づいていくのである、しかしそれは完全に翻される。東洋のオカルティズムの学生は、これをつぎのように描くだろう:

 

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図2 上から{暗闇(永久の動きが息になる)→光→ことば→現象的な光→天上的世界と人間→物理的世界と人間}

 宇宙の再建は、この(図の)知恵のように起こるとシークレット・ドクトリンは私たちに教える:新たな生成の期間に、永久の動きになる、から原初のが現れ、その放射から暗闇のなかに永遠の思考が顕現し、これがことば(マントラになる。*(4)これ(宇宙)のすべてが、存在へと飛び出したのは、あれ(すなわちマントラことば)からである。

 

 エリファス・レヴィは更に言う:

 これ [隠された神] は、永遠の本質)[空間の水] の中に光線を放射した、それによって原初の萌芽は結実し本質は膨張した。 *(5)それは天上の人を生みだし、その思考(マインド)からすべての形体が生まれた。

 

 カバラも殆ど同じことを述べるのだが、それが本当に何を教えているのかを学ぶには、エリファス・レヴィが与える順序を逆転させる必要がある、“上方に”の言葉を“なかに”に取り替えなければならない、なぜならば絶対のなかには“上方”も“下方”も無いことは確かだからである。彼は次のように言う:

  水の上方にはエロヒムの強烈な息があった;の上方にはが;の上方にはことばがあり、話す力がそれを創造した。ここで進化の諸天球:すなわち暗い中心(暗闇)から、輝く周囲へと導かれた魂[?]を私たちは見る。最下位の底にあるのはトフ-ヴァー-ボフ、すなわち混沌があり、すべての顕現に先行する [誕生-生成];つぎにの領域;とつづき;最後にことばがある。

  上記の文を解釈すると、博学な修道院長が創造を擬人化するという決定的傾向を持っていたことは明白であった、だがゾハールが明示するように、以前から存在する物質で形づくられていなければならなかった。

 

◎創世記の混沌

 これは、“偉大”な西洋のカバリストが如何に難局から抜け出したかについての経緯である:彼は進化の最初の段階について沈黙を守り、二番目に混沌を想像している。従って彼は次のように言う:

 トフ-ヴァー-ボフは、ラテンのリンボ(地獄の縁)、あるいは生命の夜明けと夕暮れの薄明かりである、*(6) それは永久の動きであり、*(7)それは絶えず分解を繰り返し*(8)、そして、堕落への動きは加速する、なぜなら世界が再生に向かって進んでいるからである*(9)。ヘブライ人のトフ-ヴァー-ボフは、正確には、ギリシャ人による混沌と呼ばれる事象との混同ではなく、オーヴィト*(ローマの詩人)の詩「変容の書」の冒頭で説明されている;それはより偉大で、深遠な何かであり;宗教の基盤であり、の非物質化に関わる哲学的な定義である。

  というよりむしろ、人格的なの物質性の定義である。トフ-ヴァー-ボフ、即ちギリシャリンバスハデス(黄泉の世界)の殿堂である、もし古代人のハデスに彼の神(造物主)を搜さなければならないとすると、西洋カバリズムに精通した魔女たちと妖術師たちは教会から出された告発に対して驚くことはない、彼らはメンデス(バフォメット)と呼ばれるヤギを崇拝し、一部の幽霊と諸エレメンタルにより具現された悪魔に寄り添うことになる。しかし、エリファス・レヴィは自身が設定したこと、すなわちローマ教会の信条とユダヤの魔法を調停させることを全く達成できなかった 。

 

次に彼は創世記の最初の文を説明する:

 

 私たちは世俗的な翻訳の聖書を傍らに置き、創世記の一章に何が隠されているかを見ることにしよう。

 

 彼はヘブライ語のテキストを正確に示す、しかしそれを字訳しただけである:

  Bereschith Bara Eloim uth aschamam ouatti aares ouares ayete Tohu-vah-bohu. . . . Ouimas Eloim rai avur ouiai aour.

 そして、彼は説明する:

 最初の言葉 “ベレシェス(Bereschith)”は“起源(genesis)”を意味し、“ありのまま”と同等な言葉である。

 

 しかし私たちは“生成の行為または産出”と主張する;“ありのまま”ではない。

 続けて彼は言う:

 この一文は、聖書において間違って訳される。それは“はじめに”ではなく、それがフォース(力)を生成させる段階にあるはずだから。*(10)従ってそれは「無から. . . .」というすべての考え方を排除することになるだろう。....無から何かを生み出すことはできないからである。“エロイム”あるいは“エロヒム”という語は、生成の諸力を意味し、最初の一節についてのオカルト的な認識である。...“ベレシェス”(“ありのまま”または“起源‘のもの)、“バラ”("創造した’) “エロイム”("諸力”) “アサットーアシャマイム”(オウアスオアリス地球)、すなわち生成的な潜在諸力は永遠に、平衡していた反対力である諸力を無制限に創造した、それを私たちは空間と実体、揮発性のものと固定性のもの、運動と重量とみなす*(11)。

 今では、それが正しいとしても、カバラな教えを知らない人にとっては漠然としすぎていて理解できないであろう。彼の説明は満足できるものではなく誤解を招く--彼が発表した著作は、いっそうひどいもので、ヘブライ語の翻字は完全に間違っている;これを学生が自分自身のために、ヘブライ語のアルファベットの単語や同義語と、あるいは象徴や数字とを比較しようとした場合に、それがフランス語への字訳で正しく綴られたものであるとしたら、その学生が発見したかもしれない何かさえも発見する可能性を妨げるものであろう。

 顕教ヒンドゥー宇宙進化論と比較してでさえ、エリファス・レヴィカバラ的として発表する哲学は、キリスト教カバラに適応した単に神秘主義的なローマ・カトリックなのである。彼の著作「魔術の歴史」はそれを明示しており、彼の目的をも明らかにする。彼はそれを隠そうともしない。そして教会について彼は次のように述べている

 キリスト教は、異教徒の神託を間違いだとして、彼らに対して沈黙を課し、その間違った神の名声に終止符を打った、*(12) 彼は自身の著作において、偉大な魔術の技である真の聖所界は、三人のマギをこの世界の救世主を崇拝するように導いたベツレヘムの星のなかにあることを証明すると約束した。

 彼は言う:

 神聖な五芒星形の研究の証明をする前に、全ての存在の前に膝を折り礼拝する必要があるだろう、この研究については、すべての三人のマギの名を上げるべきで、とりわけ新しいマギの名を知らせなければならなかった*(13)

 

 これは、レヴィのカバラ神秘主義キリスト教でありオカルティズムではないことをしめしている、すなわち普遍的なオカルティズムにおける、いくつかの古い伝統のなかには“救い主たち”(あるいは偉大なアバターラたち)に違いが見られないからである。 エリファス・レヴィは、カバリズムを装ったキリスト教を説いていることに違いなかった。 彼は疑う余地のない“現代オカルト哲学最大の代表者”ではあったが実際にはローマ・カトリックの国々で概して研究されており、そこではキリスト教徒の先入観に合わせられている。だが彼は真に普遍的なカバラを決して教えてはいなかった、特に彼は東洋のオカルティズムを全く教えなかったのだ。学生に東西の教えを比較させて、ウパニシャドの原理がこの西洋の体系の認識の範囲に到達するかどうかを調べてみると良いだろう。誰にでも自分好みの体系を擁護する権利はある、しかし、その際に自らの兄弟の体系を中傷する必要はない。

 

脚注———————

*(4) 顕教的な認識では、マントラ(すなわち知覚または思考を伝える心霊能力または力)は、ヴェーダの古い部分であり、その二番目の部分はブラフマナにより構成されている。秘教的な表現をすれば、マントラは、聖なる魔術を通して物の状態をつくることばである。

*(5) ブラフマーという語の秘密の意味は拡張増加あるいは成長である。

*(6) ウェブスター事典で調べると見つけられるのに、なぜすぐにその神学的な意味を明かさないのだろうか?ローマ・カトリック教徒にとっては、それは単に“煉獄的な”天国と地獄の境界(Limbus patrum and Limbus infantum)であり、その意味のひとつは、善、 悪、無関心を問わず、すべての人間のためのものであり、その他は洗礼を受けていない子供たちの魂のためのものである!古代人の密教では、デヴァチャンとアヴィッチの間のカーマ・ロカと呼ぶ期間を単に意味していた。

*(7) 永遠の元素混沌である、だがカーマ・ロカではないだろう?

*(8)この単語のエリファス・レヴィによる解釈は、地球のアカーシャで最低位の領域を意味する。

*(9)明らかに、彼は私たちの周期的な世界または球体の地球上にしか関心がない。

*(10) 諸力の再覚醒はより正しいであろう。

*(11) 永遠に続く動きを創造と呼ぶことはできない;それは進化であり、ギリシャ哲学者のいう永遠あるいは、以前からのことであり:ヒンドゥーヴェーダーンタによるサットである、それはまたパルメニデスのいう唯一の存在あるいは思惟と同一である。運動は永遠に存在しており、始まったことはない、すると、その潜在力は “運動を創造する”ということができるのか?再覚醒した潜在力が、動きを永遠から一時的な存在地へと移したと言ってはどうだろうか?たしかにこれは創造ではない。

*(12)「魔術の歴史」 序文、1頁

*(13)「魔術の歴史 」   序文、2頁

 

つづく。

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訳者よりーこのシークレット・ドクトリン第3巻25章は、2016年12月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。

 

 ☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。

 ☆シークレット・ドクトリン第三巻 加藤大典訳 文芸社 を参照しました。

  字句訂正・・・「トフヴァー-ボフ」を「トフ-ヴァー-ボフ」に訂正しました。(2019/1/21)