ご訪問ありがとうございます
当ブログでは主にヘレナ・P・ブラヴァツキーの著作の翻訳を掲載しております。ブラヴァツキー夫人の人物像、経歴や近代神智学の成立過程、及び神智学協会の成立などはウィキペディアや他のブログなどで、その真偽はともかく豊富な記載があちらこちらにあるので、そちらを参考にされるとよろしいかと思います。
100年以上も前に出版された『シークレット・ドクトリン』の原書は英語で書かれており、そのドイツ語版は比較的早期に翻訳されています、そのどちらもインターネットを通して誰でも自由に読むことができます。最近、中国で海賊版が出回っているらしいとの情報もあります。
世界中で秘密にされることなく読まれている『シークレット・ドクトリン第一巻〜第三巻』ですが、日本では訳出することが非常に遅れています、最近やっと少しづつ翻訳書が出版されてきましたが、既に出版されている日本語訳の書籍に「一切無断転載を禁ず」とあったりしていて、興味深いことが書かれているのに、いちばん大事な本の内容が広まっていかないようです、『シークレット・ドクトリンを読む』は既にびっくりするほど高額な中古本になっています。
大事なのは偏見のない物事の見方で原書(出来れば)を読むことであり、解説者の主観の入った解説書を読むのではなくて本の内容にふれてほしいという思いで、素人ではありますが翻訳を試みています。
神智学協会ニッポンロッジはインドに本拠を置き、神智学協会アディヤール派の下部組織だそうです『シークレット・ドクトリン』の原書にはジルコフ版を使用しています、当ブログではジャッジ派が運営したアメリカ神智学協会、いわゆるポイント=ローマ派、現在の本部はカリフォルニア州パサディナにある、Theosophical University出版の第一巻、第二巻の原書および、第三巻はKessinger Pub Coの原書を参考に翻訳しています、日本にはジャッジ派の協会はないようです。
思いつくまま翻訳を掲載していたら順番が逆転していたりと、無秩序で見にくくなっていたので、それぞれのURLを下記のURLにまとめました。(はてなブログの編集の方法が?なので)
シークレット・ドクトリン3(下)秘儀のオカルティズム について。
こんにちは
師走の候、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
改めて、当ブログを振り返りってみると2019年12月以来更新していませんでした。その間、コロナ禍にあるなかマスク不足が生じその対策で、手作りマスクを作って知人友人に差し上げたりしていました。今年になり、少しずつ翻訳し書き溜めておいたシークレット・ドクトリン第3巻とされている書の後半部分を、英語が堪能な人にチェックして頂き、校正を終了させ、出版することになりました。本のタイトルは「シークレット・ドクトリン3」(下)秘儀のオカルティズムとしました。 Amazon限定での販売となり12月10日初版です。本の内容把握の目安として、以下に目次を記載します。
目 次
第28章 秘儀の起源
天上界での一瞬 民衆の信仰の成長 真の聖職意識
エジプトの神官 公開と隠蔽
アトランティス人の退化
第29章 太陽イニシエートの試み
ヴィシュヴァカルマとヴィカルタナ 光の伝播
メイソンリーとイエズス会
第30章 「イニシエーションの太陽」の秘儀・
神としての太陽
第31章 秘儀の対象
秘儀と神の顕現 秘儀とメイソンリー
第32章 秘儀の痕跡
クリストスとクレストス ナーラダのシンボリズム
エジプトのイニシエーション 生贄としての自己犠牲
第33章 ヨーロッパにおける最後の秘儀
アレシアとビブラクティス エジプトの教え
第34章 キリスト教誕生以前からの秘儀継承者
根本人種 偽のグノーシス アンモニオスの教え
苦難と危険 新プラトン学派
第35章 太陽と星々のシンボリズム
サークルダンス キリスト教における天体崇拝
征服者ミカエル キリスト教における太陽神
第36章 ペイガンにおける恒星崇拝と占星術
惑星天使 天上界の車輪 プロメティアン秘儀
第37章 星の魂―世界的な太陽崇拝
キリスト教における恒星-崇拝 奇妙な告白
第38章 占星術と天体崇拝
卓越した弟子
第39章 周期とアヴァターラ
成就されていない預言 秘密の周期
第40章 秘密の周期
ナロス ヴェーダの時代 「天界の詩」の証言
マッケイの議論
第41章 アヴァターラに関する教義
全てのアヴァターラは一致する 自発的な化身
枢機卿クーサ 七光線 特別な事例
高位アストラル
第42章 七つの基本原理
浄化された「我」
第43章 ブッダの秘儀
さらに広範な説明 生贄
シャンカラーチャーリヤは今もなお生きている
第44章 ブッダの転生
ヴァジュラダーラ 生けるブッダ 曖昧な道
第45章 ブッダの未公開の教え
誤った見解
第46章 ニルヴァーナ-モクシャ・
アーカーシャ 物質は生きている
盲目的な信仰は期待されていない
消滅が何を意味するのか
第47章 『ラム・リム』と『ジャーン』の秘密の書
第48章 アミタ・ブッダ、観世音、観音 ―「ジャーンの書」
とは、ツォンカパのラマセリーとは何であるか
第49章 ツォンカパ、中国におけるローハン
失われた言葉 チベットの予言者
第50章 いくつかの誤りの訂正
仏教の誤説 神秘的な国 不条理な結論
唯物主義的なオリエンタリスト
チベットへの仏教の伝来
第51章 「目の教え」と「ハートの教え」あるいは「ハートの封印」
スウェーデンボルグの主張 「誰か」なる神
いまだに誤説 アーリヤーサンガ
以上です、どうぞ宜しくお願いします。
空水マリ
【秘密教義のオカルティズム】 — 第25章 東洋と西洋のオカルティズム 他—(その3)
<初版1897年発行>
シークレット・ドクトリンのオカルティズム
第3巻 ― 第25章
H.P.ブラヴァツキー 原著
アニー・ベサント 編著
<[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>
<[各単語等] はaquamarithによる追補>
◎人類の聖書
キリスト教の重要な“真実”とバラモン教の“神話”に多くの類似があるとの意見があり、近年「バガヴァッド・ギーター」、「ブラーフマナ」や「プラーナ集」の多くが、「モーゼ五書」更に数々の「福音書」よりはるかに後代のものであるという証明をしようとする重大な企てがされてきた。しかし「リグ・ヴェーダ」が既に存在していたことから、議論がこのような強引な目的を達成することはあり得ない。リグ・ヴェーダに割り当てられる年代を最大限度まで引き下げても、モーゼ五書に日付を重ねることは不可能である、明らかにモーゼ五書は後代に属する。
東洋学者たちは、後続の全宗教にはその教えが引き継がれておりリグ・ヴェーダと呼ばれる“人類の聖書”のなかに、重要な歴史的・文化的意義のある教えや物を、取り去ることができないことをよく知っている。知的な人類のまさにその夜明けに、すべての信仰や信条、すべての寺院と教会の礎石が時代の変遷に寄り添い建立され、それらは今もなお存在する。普遍的な “諸神話”、神や宇宙、原初的二次的な諸動力の擬人化、そして途絶えた宗教だけでなく、現存する全宗教上の歴史的人物たちが、リグ・ヴェーダの7主神及びそれらの330,000,000神にも及ぶ相関関係のなかで見いだされる、そしてそれら7神と、数百万のいくらかは、共に唯一無限な統一の光線である。
しかし、世俗的な崇拝は、これ(THIS) に捧げられることは決してない。それは、“最も抽象的な瞑想の対象であり、これのなかに専心する為のヒンドゥー教徒の実践、”だけに限られるのである。“創造”の“夜明け”の始まる都度の、永遠の光―それは暗闇であり―それは“混沌”の状況とみなされる、人間の知力への混沌;それは超人的あるいは霊的な感覚に向かう永遠の根である。
“オシリスは黒い神である。”これはエジプトで秘儀参入時に“小声”で発せられた言葉である、なぜならオシリス・ヌーメノン[それ自身の中にあるもの]は人間にとっての暗闇であるからだ。混沌のなかで“水”、“母イシス”、アディティなどが形成される。それらは“生命の水”であり、そのなかで原初の光により、原初の胚たちが創造—--というより再覚醒—--される。プルショーッタマすなわち神聖な霊は空間の水の上を動くものとしてのナラーヤナの能力であり、それは“金色の宇宙卵”になる胚のなかに生命の息を吹き込み結実させる。宇宙卵のなかでは男神のブラフマーが創造され、これから最初のプラジャーパティ、存在たちの主(Lord)が出現し、人類の先祖となる。*(14)
そして、それが彼ではなく、自身の内に宇宙を含むと言われている絶対者であるにしても、それを可視の形で顕現することが男神のブラフマーの務めである。それゆえに、彼は種の生産と関係づけられなければならない、以降の擬人化のヤハウェと他の男神たちのように、陽物崇拝的な象徴を引き受けなければならない。せいぜい、そのような男神たちは、すべてのものの“父”として“原型的な人間”にはなるが、彼と無限の神との間には暗黒の空間が広がっているのである。人格神(複数)を持つ有神論的宗教において、人格神は抽象的な諸力から物質的な潜在力に退かされる。生命の水—母なる大自然の“深み” —は、神人同形論の宗教においては地上的側面として見なされる。これは注視に値する、神学的な魔法によって生命の水は、なんと神聖になったのだろう! それは神聖を維持されており、ほとんどすべての宗教で古来より神格化されている。だが、もしもキリスト教徒が洗礼や祈りを、霊的な浄化手段としてつかうならば、もしもヒンドゥー教徒が彼らの神聖な小川や池と川に敬意を払うならば、もしもパルシー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒がその効力を同様に信じるならば、確かにその要素は重要なオカルト的意味を持つにちがいない。
オカルティズムにおいて、それは低級七つ組でのコスモス[Kosmos、宇宙、世界]の第五本質を表す、可視宇宙(Universe)全体は水によってつくられたとカバリストたちは言う、“生命の水”と“水による魂の救済”の違いを彼は知っているが、教条的な宗教は、これらを同一視しており非常に混乱している。
説教王は、彼自身のことを言う:
私(説教者)はエルサレムでイスラエルの王であった、天の下でなされている、すべてのことに関して知恵によって探求し、調べるように、ハートを尽くした。*(15)
エロヒム*(16)は、英語訳聖書では“主(Lord)なる神” に統一されている、主なる神の衣を光のように、そして天の幕のようにと主の偉大な働きと栄光について語るなかで、彼(説教者)は建設者のことにふれる。
建設者は水の中に彼の光り輝く高殿の梁を築く*(17)、
それは、混沌の水すなわち深みから宇宙を建設したセフィロトの神聖なホストのことである。モーゼやタレスは、地と水だけが、生命のある魂を生み出すことができ、この界層上で水が全ての本質であると言ったのは正しい。モーゼは秘儀参入者であり、タレスは哲学者すなわち科学者であった、当時これらの学問を表す語は同一であった。
ここでの秘められた意味は、水と地がモーゼ五書において、原初物質と地上での創造(女性)の本質を表している。 エジプトではオシリスが火、イシスが地球または同義語の水であった、ふたつの対局にある元素——互いに反対の性質である、そのことから共通の目的、すなわち発生の為にお互いに必要としていた。地球はその胚たちを発生させるために、太陽の熱と雨を必要とする。しかし、火と水そしてスピリット(霊)と質料などの生産のための特性は、物質的発生だけの象徴にすぎない。ユダヤ人のカバリストたちが、これらの諸元素を顕現されたものへの適用に限って象徴化して、それらを地球上の生命の発生のための表象として崇拝したのに対して、東洋の哲学は、それらを霊的な原型からの錯覚に基づく放射物だけだと気づき、その汚れた不神聖な考えが秘教の宗教的な象徴を損なうことはないとした。
◎混沌(カオス)は神(テオス)であり、しかもコスモスである
カオスは、他の箇所で示したようにテオスでありコスモスになる、それは空間であり宇宙のなかの全てのものの容器である。オカルトの教えが主張するように、それはカルデア人、エジプト人、そして他の全ての民族からトフ-ヴァー-ボフ、混乱と呼ばれた、なぜなら空間は創造の大いなる貯蔵所であり、そこから形態だけではなくアイディアまでもが生まれる、これらはロゴス、ことば、ヴェルブムあるいは音を通してしかその表現を受け取ることができない。
1、2、3、4の数字は、母すなわち[空間]からの連続した放射を表す、彼女は衣を下向き走らせ形作り、それを創造の七段階の上に広げた。*(18)、巻き上がった衣は、それ自体の上に戻り、一方の端が他方の端に無限に広がり繋がる、私たちが感知できる衣の側である4、3、2は示されたが、最初の数は得難い孤独へと消失していく。
...無限の時である父が母を生成させる、母は永遠のなかの無限空間である、そして持続する時間の区分であるマンヴァンタラのなかで、世界がひとつの大海になるその日に母は父を生成させる、それから母はナーラー[水 — 大いなる深み]になる、それは上でナラ[至高霊]が休み、動くためである、そのとき、あの1、2、3、4は降下して不可視世界に留まる、一方4、3、2、は可視世界の境界となって、父[時]の顕現に関係する。*(19)
これは、マハーユガに関係する数字のことを述べており、432の後に0をつけると、4,320.000になる。
◎百八つ
今や、それが単なる偶然の一致であっても、桁外れに奇妙なことだが、聖書のトフ-ヴァー-ボフすなわち“混沌”は、当然“母”なる深みあるいは空間の水である、そうであるならば、それらは同じ数値を示すはずである。なぜならカバラ文書には次のような記述が見られるからである:
「創世記」1章2節には天と地が“混沌と混乱”として語られている、それは“トフ-ヴァー-ボフ”の状況のことである、“そして、暗闇は深みの表面上にあった”、すなわちこれは“建設に用いられるべき完全な素材は編成化が欠如していた”と言われている。語順に従ったこれらの語の数値の順序、*(20)すなわち、各語を数字に置き換えると、6526654そして2386になる。技巧的な話法では、これらの数は一緒に雑にまぜられた鍵となる番号である、建設の胚であり鍵であるが、使用され要求される度に、ひとつ、またひとつと認識されるのである。それらは、偉大な宣言の最初の文章“大急ぎで神々は天と地を展開なされた。”と、すぐ後に対称的に続けられている。
トフ-ヴァー-ボフ[Thuvbhu 4566256 *(20)参照]の文字の数値を右から左へ順に掛け合わせ、その答えをそのまま並べ、更に左の数値に掛け合わせることを続けて並べると (a) 30、60、360、2160、10800、43200となる、あるいは特徴を表すように、桁をずらすことによって、3、6、36、216、108、432となる、今度は、この文字の数値を左から右へと変えて同じように並べると (b) 20、120、720、1440、7200、[43200]あるいは2、12、72、144、72、432、となって、どの数列も「432」という、古代で最も有名な数で終りとなる、このことは曖昧にされたが、大洪水の年代記上*(21)で露わになる。
これは数を利用するヘブライの語法が間違いなくインドからユダヤにもたらされたことを示すものである。見たところ、数列の最後の数、また別の他に組合せの数字は108や1008であり、これはヴィシヌの名前の数であり、ヨーガ行者の数珠玉の数が108であることに由来しているのである、そしてこの数はインドやカルデアの古代において、真に“有名”な数432に近く、インドの4,320,000年の周期に、432,000年はカルデア神聖王朝の存続時間に現れている。
脚注———————
*(14) ヴィシュヌを至高神であり宇宙を形作る神と見なすヴィシュヌ派は、ブラフマー“不滅”がヴィシュヌの臍からというよりは、むしろそれから生まれた蓮から飛び出したと主張する。 しかし、ここでの“臍”という語は、中心点、無限の数学的な象徴あるいは唯一無二のパラブラフマンを意味する。
*(15)伝道の書 第1章12. 13.
*(16) 誰でも知っていることを、ここで言う必要は恐らくないだろう。初期ギリシャ語、およびラテン語の聖書に使われている単語からプロテスタント聖書への単語の翻訳が正確ではないので、意味がしばしば歪曲されて“ヤハウェ”とか“エロヒム”の話があるところに“God(ゴッド)”が当てられた。
[追補・旧約聖書、詩篇. 104. 2,3節から・・・<あなた(主)は光を衣のように着ておられ!天を、幕のように広げておられます。水の中にご自分の高殿の梁を置き、雲をご自分の乗り物とし、風の翼に乗って走っておられます>]
*(18)私たちが頻繁に使う“創造”という用語の意味の誤解を避けるために、「黄金の門を通り抜けて」の著者の所見が明快で簡潔であるので引用する。“創造するという語句は、一般的に何もないところから何かを展開させる、という考えを伝えるとほぼ理解されている。これは明らかにそういう類の意味ではない。私たちは創造者に諸世界を作り出すための混沌を提供するように精神的に義務付けられているということである。社会生活における典型的な生産者である土の耕作者は、土地、空、雨と太陽といった素材を、そして土の中に蒔く種を手に入れなければならない。無からは何も生みだすことはできない。空間の性質を除外すると生産はできない、宇宙に対する私たちの欲求によって自然が形づくられる、自然形成のもとになる素材は背後に、向こうに、あるいは内側に存在する。”
*(19) 周期に関するスタンザ9の注釈を参照。
*(20)右から左に読めば、文字とそれらに対応する数字はこのようになる。“t,”4: “h.”5: “bh,”2: “v[u],”6: “v”6: “h,”5: “ ”v”or“w,” 6: そしてそれは“thuvbhu”、4566256すなわち“Tohu-vah-bohu.”となる
*(21) ラルストン・スキナー氏の手書きの文書
第25章おわり。
————————————
訳者より・・・このシークレット・ドクトリン第3巻25章は、2016年12月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。
☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。
☆シークレット・ドクトリン第三巻 加藤大典訳 文芸社 を参照しました。
☆聖書・新改訳 日本聖書刊行会発行 (1990年第2版)を参照しました。
【秘密教義のオカルティズム】 — 第25章 東洋と西洋のオカルティズム 他—(その2)
<初版1897年発行>
シークレット・ドクトリンのオカルティズム
第3巻 ― 第25章
H.P.ブラヴァツキー 原著
アニー・ベサント 編著
<[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>
<[各単語等] はaquamarithによる追補>
◎大いなる深み
すべてのこのことは非常に巧妙であるが、極めて難解であり不正確である。フランスのカバリストの“暗い深淵の上方に水があった”という最初の文が影響して、正当な本筋から学生を引き離してしまう。これは東洋の弟子ならば一目で見抜くであろうし、世俗人であっても気がつくことがあるだろう。というのは、もしトフ-ヴァー-ボフが“下方”であり、水が“上方”にあるならば、このふたつはお互いにまったく別のものだからなのである。(ここまで、25章—その1の最後の数行を転載)
この意見は、宇宙発生論におけるスピリット(霊)と自然を全く変えてしまう、それを顕教の創世記のレベルにまで押し下げる、おそらく目に見える結果と記述だけに、非常に重要である。トフ-ヴァー-ボフは、“大いなる深み”のことであり、“混沌の水”そして原始の暗闇と同じである。さらに事実を述べると、それは驚異的な世界を除き、分けることができない 大いなる深みと“水”である、― それらは空間において制限され、その資質に関して条件づけられる。
すなわち、唯一永遠で神聖な元素、およびその単一性および絶対的な均一性は、唯一真実のオカルト哲学の基本原理を指し示す、-- 従ってエリファスの、こういった秘教哲学の最後の言葉を隠すような願望はうまくいかない、意図的かどうかということは重要ではない--彼は神で男の神を作る。
そして、彼は以下のように言う:
水より上方に、エロヒム[創造的なディヤーニ・チョーハン]の強力な息は、あった。息より上方に光は現れた、そして、光より上方にことばがあり... それが、それを創った。
だが実際には、これはまさに反対である: 原初の光がことばあるいはロゴスを創り、それが今度は物理的な光を創ったのである。
次の図は、彼自身(エリファス)の発言を挙げたものである:
図1上から{ことば→光→息→水→暗闇}
今や、これを見た東洋オカルティストは、これを左手の魔術の図だと躊躇せず断定する。宗教的な理解では、ドヴァーパラ・ユガとは第三番目の段階を表している、唯一の本質が男と女(雄と雌)に分離した時には、人類はカリ・ユガをもたらす物質性への転落に近づいていくのである、しかしそれは完全に翻される。東洋のオカルティズムの学生は、これをつぎのように描くだろう:
図2 上から{暗闇(永久の動きが息になる)→光→ことば→現象的な光→天上的世界と人間→物理的世界と人間}
宇宙の再建は、この(図の)知恵のように起こるとシークレット・ドクトリンは私たちに教える:新たな生成の期間に、永久の動きは息になる、息から原初の光が現れ、その放射から暗闇のなかに永遠の思考が顕現し、これがことば(マントラ)になる。*(4)これ(宇宙)のすべてが、存在へと飛び出したのは、あれ(すなわちマントラ、ことば)からである。
エリファス・レヴィは更に言う:
これ [隠された神] は、永遠の本質)[空間の水] の中に光線を放射した、それによって原初の萌芽は結実し本質は膨張した。 *(5)それは天上の人を生みだし、その思考(マインド)からすべての形体が生まれた。
カバラも殆ど同じことを述べるのだが、それが本当に何を教えているのかを学ぶには、エリファス・レヴィが与える順序を逆転させる必要がある、“上方に”の言葉を“なかに”に取り替えなければならない、なぜならば絶対のなかには“上方”も“下方”も無いことは確かだからである。彼は次のように言う:
水の上方にはエロヒムの強烈な息があった;息の上方には光が;光の上方にはことばがあり、話す力がそれを創造した。ここで進化の諸天球:すなわち暗い中心(暗闇)から、輝く周囲へと導かれた魂[?]を私たちは見る。最下位の底にあるのはトフ-ヴァー-ボフ、すなわち混沌があり、すべての顕現に先行する [誕生-生成];つぎに水の領域;息;光とつづき;最後にことばがある。
上記の文を解釈すると、博学な修道院長が創造を擬人化するという決定的傾向を持っていたことは明白であった、だがゾハールが明示するように、以前から存在する物質で形づくられていなければならなかった。
◎創世記の混沌
これは、“偉大”な西洋のカバリストが如何に難局から抜け出したかについての経緯である:彼は進化の最初の段階について沈黙を守り、二番目に混沌を想像している。従って彼は次のように言う:
トフ-ヴァー-ボフは、ラテンのリンボ(地獄の縁)、あるいは生命の夜明けと夕暮れの薄明かりである、*(6) それは永久の動きであり、*(7)それは絶えず分解を繰り返し*(8)、そして、堕落への動きは加速する、なぜなら世界が再生に向かって進んでいるからである*(9)。ヘブライ人のトフ-ヴァー-ボフは、正確には、ギリシャ人による混沌と呼ばれる事象との混同ではなく、オーヴィト*(ローマの詩人)の詩「変容の書」の冒頭で説明されている;それはより偉大で、深遠な何かであり;宗教の基盤であり、神の非物質化に関わる哲学的な定義である。
というよりむしろ、人格的な神の物質性の定義である。トフ-ヴァー-ボフ、即ちギリシャのリンバスはハデス(黄泉の世界)の殿堂である、もし古代人のハデスに彼の神(造物主)を搜さなければならないとすると、西洋カバリズムに精通した魔女たちと妖術師たちは教会から出された告発に対して驚くことはない、彼らはメンデス(バフォメット)と呼ばれるヤギを崇拝し、一部の幽霊と諸エレメンタルにより具現された悪魔に寄り添うことになる。しかし、エリファス・レヴィは自身が設定したこと、すなわちローマ教会の信条とユダヤの魔法を調停させることを全く達成できなかった 。
次に彼は創世記の最初の文を説明する:
私たちは世俗的な翻訳の聖書を傍らに置き、創世記の一章に何が隠されているかを見ることにしよう。
彼はヘブライ語のテキストを正確に示す、しかしそれを字訳しただけである:
Bereschith Bara Eloim uth aschamam ouatti aares ouares ayete Tohu-vah-bohu. . . . Ouimas Eloim rai avur ouiai aour.
そして、彼は説明する:
最初の言葉 “ベレシェス(Bereschith)”は“起源(genesis)”を意味し、“ありのまま”と同等な言葉である。
しかし私たちは“生成の行為または産出”と主張する;“ありのまま”ではない。
続けて彼は言う:
この一文は、聖書において間違って訳される。それは“はじめに”ではなく、それがフォース(力)を生成させる段階にあるはずだから。*(10)従ってそれは「無から. . . .」というすべての考え方を排除することになるだろう。....無から何かを生み出すことはできないからである。“エロイム”あるいは“エロヒム”という語は、生成の諸力を意味し、最初の一節についてのオカルト的な認識である。...“ベレシェス”(“ありのまま”または“起源‘のもの)、“バラ”("創造した’) “エロイム”("諸力”) “アサットーアシャマイム”(天)オウアスとオアリス(地球)、すなわち生成的な潜在諸力は永遠に、平衡していた反対力である諸力を無制限に創造した、それを私たちは空間と実体、揮発性のものと固定性のもの、運動と重量とみなす*(11)。
今では、それが正しいとしても、カバラ的な教えを知らない人にとっては漠然としすぎていて理解できないであろう。彼の説明は満足できるものではなく誤解を招く--彼が発表した著作は、いっそうひどいもので、ヘブライ語の翻字は完全に間違っている;これを学生が自分自身のために、ヘブライ語のアルファベットの単語や同義語と、あるいは象徴や数字とを比較しようとした場合に、それがフランス語への字訳で正しく綴られたものであるとしたら、その学生が発見したかもしれない何かさえも発見する可能性を妨げるものであろう。
顕教のヒンドゥー宇宙進化論と比較してでさえ、エリファス・レヴィがカバラ的として発表する哲学は、キリスト教カバラに適応した単に神秘主義的なローマ・カトリック教なのである。彼の著作「魔術の歴史」はそれを明示しており、彼の目的をも明らかにする。彼はそれを隠そうともしない。そして教会について彼は次のように述べている
キリスト教は、異教徒の神託を間違いだとして、彼らに対して沈黙を課し、その間違った神の名声に終止符を打った、*(12) 彼は自身の著作において、偉大な魔術の技である真の聖所界は、三人のマギをこの世界の救世主を崇拝するように導いたベツレヘムの星のなかにあることを証明すると約束した。
彼は言う:
神聖な五芒星形の研究の証明をする前に、全ての存在の前に膝を折り礼拝する必要があるだろう、この研究については、すべての三人のマギの名を上げるべきで、とりわけ新しいマギの名を知らせなければならなかった*(13)
これは、レヴィのカバラが神秘主義的キリスト教でありオカルティズムではないことをしめしている、すなわち普遍的なオカルティズムにおける、いくつかの古い伝統のなかには“救い主たち”(あるいは偉大なアバターラたち)に違いが見られないからである。 エリファス・レヴィは、カバリズムを装ったキリスト教を説いていることに違いなかった。 彼は疑う余地のない“現代オカルト哲学最大の代表者”ではあったが実際にはローマ・カトリックの国々で概して研究されており、そこではキリスト教徒の先入観に合わせられている。だが彼は真に普遍的なカバラを決して教えてはいなかった、特に彼は東洋のオカルティズムを全く教えなかったのだ。学生に東西の教えを比較させて、ウパニシャドの原理がこの西洋の体系の認識の範囲に到達するかどうかを調べてみると良いだろう。誰にでも自分好みの体系を擁護する権利はある、しかし、その際に自らの兄弟の体系を中傷する必要はない。
脚注———————
*(4) 顕教的な認識では、マントラ(すなわち知覚または思考を伝える心霊能力または力)は、ヴェーダの古い部分であり、その二番目の部分はブラフマナにより構成されている。秘教的な表現をすれば、マントラとは、聖なる魔術を通して肉や物の状態をつくることばである。
*(5) ブラフマーという語の秘密の意味は拡張、増加あるいは成長である。
*(6) ウェブスター事典で調べると見つけられるのに、なぜすぐにその神学的な意味を明かさないのだろうか?ローマ・カトリック教徒にとっては、それは単に“煉獄的な”天国と地獄の境界(Limbus patrum and Limbus infantum)であり、その意味のひとつは、善、 悪、無関心を問わず、すべての人間のためのものであり、その他は洗礼を受けていない子供たちの魂のためのものである!古代人の密教では、デヴァチャンとアヴィッチの間のカーマ・ロカと呼ぶ期間を単に意味していた。
*(7) 永遠の元素、混沌である、だがカーマ・ロカではないだろう?
*(8)この単語のエリファス・レヴィによる解釈は、地球のアカーシャで最低位の領域を意味する。
*(9)明らかに、彼は私たちの周期的な世界または球体の地球上にしか関心がない。
*(10) 諸力の再覚醒はより正しいであろう。
*(11) 永遠に続く動きを創造と呼ぶことはできない;それは進化であり、ギリシャ哲学者のいう永遠あるいは、以前からのことであり:ヒンドゥーのヴェーダーンタによるサットである、それはまたパルメニデスのいう唯一の存在あるいは思惟と同一である。運動は永遠に存在しており、始まったことはない、すると、その潜在力は “運動を創造する”ということができるのか?再覚醒した潜在力が、動きを永遠から一時的な存在地へと移したと言ってはどうだろうか?たしかにこれは創造ではない。
*(12)「魔術の歴史」 序文、1頁
*(13)「魔術の歴史 」 序文、2頁
つづく。
ーーーーーーー
訳者よりーこのシークレット・ドクトリン第3巻25章は、2016年12月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。
☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。
☆シークレット・ドクトリン第三巻 加藤大典訳 文芸社 を参照しました。
字句訂正・・・「トフヴァー-ボフ」を「トフ-ヴァー-ボフ」に訂正しました。(2019/1/21)
【秘密教義のオカルティズム】 — 第25章 東洋と西洋のオカルティズム 他—(その1)
<初版1897年発行>
シークレット・ドクトリンの第3巻だといわれている「シークレット・ドクトリンのオカルティズム」の前書きで、アニー・ベサントは次のように記していたー
H.P.Bから私に与えられた原稿を、それぞれ別々の章として取り上げ、可能な限り順番に並べている。文法上の誤りの訂正と明らかな非英語的な慣用句を除いた以外、原稿はH.P.Bのものである。 それ以外の記述箇所はマークを付けて保存してほしい。いくつかのケースで、私が補った箇所があるが、そのような追加は[角括弧]で囲まれ、テキスト本文と区別できるようにした。・・・これらは秘密教義の第3巻の一部として出版するために私の手に渡された・・・この巻はH.P.Bによって残された論文を完成させる。・・・ (再掲載)
シークレット・ドクトリンのオカルティズム
(第3巻) ― 第25章
H.P.ブラヴァツキー 原著
アニー・ベサント 編著
<[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>
<[各単語、他] はaquamarithによる追補>
第25章
東洋と西洋のオカルティズム
原初物質
大いなる深み
創世記における混沌
人類の聖書
混沌は神であり、しかもコスモスである
百八つ
◎東洋と西洋のオカルティズム
神智学協会のロンドン・ロッジのメンバーの一人は 1886年3月号*(1)のセオソフィスト誌上で、“太陽スフィンクス”に対する回答を、以下の通りに記した:
セオソフィストの紙面で解説された限りであるが、現在進められているオカルト知識の復活は、東洋の未だに到達していない認識の領域を、西洋の体系がいつの日にか、必ず実証することになるであろうとの確信をしている。
執筆者よりも有名なカバリストは、アメリカ合衆国で同じことを言っている、こういった誤った印象に苦慮しているのは、執筆者だけとは限らない。つまり東洋の教義の思想や真の哲学そして “認識の範囲” に関して、西洋のオカルティストが持っている知識は非常に表面的であるこということである。この主張は、2~3の事例を取り上げて、普遍的なへルメス教義に関する、ふたつの解釈の比較をすることで簡単に示される。私たちがそのような比較を出すことを怠ったために、仕事は不完全な状態にされてきたが、これからは、そういった比較はいっそう必要なものである。
◎原初物質
西洋の神秘家であるケニス・マッケンジーによって公正に紹介されている、現代のオカルト哲学*(3)で最も偉大な人物のひとりである故エリファス・レヴィを、私たちは取り上げる、エリファス・レヴィは、おそらくカルデア・カバラについて最も博識な解説者であるだろう、彼の教えを東洋のオカルティストのそれと比較するべきである。
私たちが期待したこと、それは15年ほど彼の弟子であった神智学者から借用した彼の未発表の原稿と書簡のなかに、彼が公開を望まないものを見出すことであった、しかし、私たちが見出したものは結果として、私たちを大いに失望させるものであった。そこでこれらの教えが西洋のあるいはカバラ的なオカルティズムの本質を含むものであるか、引き続き分析、比較していく。
エリファス・レヴィはそれを正確に教示したのだが叙事詩風修辞法的な言語表現であるために、初心者に対して十分明快であるとは言い難い。
永遠の生命は、交互に反転するフォース(力)の様相によって釣り合っている作用(動き)である。
しかし、彼はこの絶え間ない動きが実際に作用している諸フォース(諸力)と何も関係していないと、なぜ付け加えないのであろうか?彼は以下のように述べる:
混沌は、絶え間ない動きと原初物質のトフ-ヴァー-ボフ(Tohu-vah-bohu)であると、;
そして物質が“根源的” であるのは宇宙の新たな再建における始まりだけに限られるということを彼は付け加えてはいない;アルケミストによって、姿がない、とよばれる物質は永遠であり、不滅であり、始まりもなく、終わりもない。 それは、東洋のオカルティストによる、すべての永遠の根(Root)ヴェーダーンタ哲学者の言うムーラプラクリティと仏教徒の言うスヴァバヴァット;神聖なエッセンスすなわち質料である、これからの放射は周期的に、純粋な霊から粗雑な物質にいたる等級別の形に集められる;根(Root)あるいは空間はその抽象的存在としては、神そのものであり、表現できないほど偉大で未知なる唯一なる原因である。
彼にとってアイン・ソフは限りがなく無限であり唯一の統一さらに、パラブラフマンのように原因のない、ふたつと無いものなのである。アイン・ソフは不可分な点である、したがって、“どこにでもありながらどこにもない” 絶対的なすべてである。さらに、それは絶対的光であり”暗闇”でもある、7つの基本的宇宙本質の根(Root)でもある。だが、エリファス・レヴィは“暗闇は、地の表面上にあった” と簡単に述べただけで、(a)その“暗闇” のここでの認識が神そのものであることを明確に述べることが出来ずに、人間の思考(マインド)にとっての問題である唯一の哲学的解決を保留してしまった; (b)そして彼は不注意な学生が“地”と聞いて、それを私たち自身の小天体(地球)--宇宙の微小なもの--を意味すると信じることを許すのである、要するに、この教えはオカルト宇宙進化論を含まない、単なるオカルト宇宙地質学と、私たちの宇宙の微小な塵の形成だけに関係するというのだ、彼によって、このことはセフィロトの木において次のような扱いで示される:
神は調和であり、諸パワー (諸動力)の天文学であり世界の外的統一である。
(a)これは彼が宇宙外の神の存在を教えているが、コスモス(宇宙)と神聖な無限そして遍在といったそれらと、たとえひとつの単一な原子であっても無関係あるいは、外側ではありえないと制限して条件付けることを示唆する;(b)前-宇宙期間のすべて、すなわち顕現されたコスモスが意味したオカルトの教えのまさに根幹が省略されたのである、 彼は聖書と創世記の廃れた文字のカバラ的な意味だけを説明しており、スピリット(霊)やエッセンスには触れていない。こうした限られた教えでは、西洋のマインドの“認識の範囲” はそれほど拡がることはないだろう。
彼は僅かだが次のように語った、トフ-ヴァー-ボフの意味についてワーズワースは“めちゃくちゃな” と写実的に訳した、そしてこの語が宇宙を指し示すと説明した、彼はそのことに関して、後になって次のように教える:
暗い深淵 [混沌] の上に水があった、..地 [地球!] はトフ-ヴァー-ボフであり、混乱しており、暗闇が深淵の面を覆い強烈な息が水の上を動いていた、そのときスピリット(霊)が“光あれ” と叫んだ [?]、するとそこに光があった。
このように、地 [当然、私たちの地球] は地殻の激変の状態にあった、厚い蒸気は天空の広大さを覆い隠し、地は水に覆われ、そして烈風は暗い海を撹拌していた。やがてある瞬間に、平衡が姿を見せ、光が再び現れた;ヘブライ語の単語“ベレシェス(Bereschith)”(創世記の“はじめに”という言葉)はふたつから構成され、行為することにより明示されたという意味の動詞 “ベス、”であり、女性文字である; そして “レーシュ、”は“言葉”と命のことであり、数は20、disc(ディスク、(*訳者注・デシマル、おそらく10のこと))×2である;そして “アーレフ”は霊的本質であり 、ひとつのものという意味の男性文字である。
これらの文字を三角形に置くと絶対的な単一性が得られる、その数は数(複数)に含まれることなく、最初の明示を作成する絶対の単一性を持っている、それは2であり、そしてこれらの二つからは相対する [反対物]による類似に起因している調和によって結びついた2であるか、1だけを作る。これが神はエロヒム(複数)と呼ばれる理由である。
すべてのこのことは非常に巧妙であるが、極めて難解であり不正確である。フランスのカバリストの“暗い深淵の上方に水があった”という最初の文が影響して、正当な本筋から学生を引き離してしまう。これは東洋の弟子ならば一目で見抜くであろうし、世俗人であっても気がつくことがあるだろう。というのは、もしトフ-ヴァー-ボフが“下方”であり、水が“上方”にあるならば、このふたつはお互いにまったく別のものだからなのである。
脚注 ———————————————
*(1) 前掲書p.411
*(2) セオソフィスト誌上において、オカルト教義のあらゆる説明はされていた、しかし全体として説明が十分になされない場合には、主題が不完全であると言明するように常に気をつけた、そして執筆者が、これまで読者に対して、その教えを誤解させたことはない。東洋のオカルティストは、しばらく過ぎてから西洋の真のオカルティストに関する“認識の範囲”について知ることになった。従って、彼らは西側が弁証法(後に十分に西側で使われている)の推測のシステムとしてヘルメス哲学を所有している場合があると自信をもって主張する力を与えられている、しかし、それは完全にオカルティズムについての知識が欠如している。真の東洋のオカルティストは静かな状態や知られないことを保ち、彼が知っているものを決して発表しない、無分別の罰を非常によく知っているので、それについて殆どが語ることはない。
*(3) ロイヤル・メイソンの百科事典「セフィール・イェツィラー」参照
つづく
ーーーーーーー
訳者よりーこのシークレット・ドクトリン第3巻25章は、2016年12月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。
☆ブラヴァツキー夫人の著作が読みたいがために日本語訳にチャレンジしています。今回の第3巻第25章は、原書と加藤氏の翻訳を参考にして自分なり訳しました。加藤氏(1933生まれだそうです)の訳書を参考にすることで、誤った解釈等に気づいたりと、大変勉強になりました、本当に有難く思います。
☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。
☆シークレット・ドクトリン第三巻 加藤大典訳 文芸社 を参照しました。
字句訂正・・・「トフヴァー-ボフ」を「トフ-ヴァー-ボフ」に訂正しました。(2019/1/21)
【オカルティズムに関する研究】より 催眠術ー2
<ブラヴァツキー・ロッジ、機関誌『ルシファー』1887-1891より抜粋>
H.P.ブラヴァツキー 著
aquamarith (ハテナ名) 訳
催眠術、その他の魔力の方法との関係(2)
問:科学における催眠現象の定義は、すべて間違っていますか?
答:これまで定義されていません。現在、もしオカルティストが物質的な科学の最新の発見に同意する(ある程度)ものが一つあるとすれば、それは金属-治療的および他の類似現象を誘発し、引き起こす性質を与えられた全ての身体は抵抗のない多様性、共通する一つの機能を持つということです。それらすべてが、いわば水源(複数)、すなわち急速な分子振動の発生器です、伝達物質を介するか直接の接触であるかにかかわらず、神経系に伝達され、共鳴で神経振動のリズムを変化させます。
現在の『共鳴』は、必ずしも特質や本質の同一性を意味するものではなく、程度の同一性、重力や鋭さに関する類似性、音や動きの強さと一致する可能性を意味します。ベルとは共鳴したり、バイオリン、フルートとは動物や人間の器官を結ぶのかもしれません。さらに、特に有機動物細胞または器官における振動数の割合は、健康状態や全身状態に応じて変化します。それゆえ催眠の対象となる大脳神経の中枢は、潜在的な割合と不可欠な本来の活動での完璧な共鳴関係にありながら、彼が凝視している物体と共に、計測器(ロガーヘッド)の先端が与えられた瞬間に、それぞれの振動の数に関しては、何らかの有機的な妨害のために計測できない場合があります。
こういった場合、彼の神経細胞と、彼が凝視する水晶或いは金属の基本組織との間には、全く共鳴がみられないことがあり、特定の対象物は彼に全く影響をおよぼし得ません。このことは催眠実験の成功を確実にするために、2つの条件が必要であるということです。(a)自然界のすべての有機体または『無機』体は、その固定された分子振動によって区別されるので、いずれかの人間の神経系と共鳴作用する身体がどれであるかを知る必要があります。 思い起こせば(b)前者(有機体)の分子振動が、それぞれの振動のリズムが一致したとき、すなわち、それらの振動の数が同一になったときにのみ、後者(無機体)の神経作用に影響を及ぼし得ます。それは機械的手段によって誘発される催眠術の場合、目の媒質を介して達成されます。
したがって、機械的手段によって生み出された催眠と、操作者の直接の凝視に加えて彼の意志によってもたらされる催眠との違いは、同じ現象が生み出された界層に依ります、なお『魔力的な』あるいは鎮圧している自然力は同じ力の働きに依ります。それは物理的な世界とその物質界層では、動き(MOTION)と呼ばれ、精神力と形而上学の世界では、すべての自然の中で多面的な魔術師である意志(WILL)として知られています。
金属、木材、水晶などの振動(分子運動)が熱や低温などの影響を受けて変化すると、大脳の分子も同じように上昇したり下降したりと速度を変化させます。そして、これはまさに催眠術の現象で起こるものです。凝視の場合、目は能動的な操作者の意志が主な作因ですが、この意志は休止しているときが奴隷であり裏切りものです、(この意志は)患者や被験者に無意識のうちに大脳神経の中枢に、後者のリズムを移しそれを脳に伝えることによって、凝視している物体の振動の速度に合わせます。
しかし、直接のパス(通過させる方法)の場合、操作した人物の意志と彼の意志の間に必要な共鳴を生み出すのは、操作者が自身の目を通して放射する意志です。例えば、2つの和音として共鳴して調整された2つの対象のうち、1つは常に他のものより弱いので他のものよりも熟練し、弱い『共同反応』を破壊する可能性さえあります。これは真実ですから、私達はこの事実を裏付けるために物理科学に(解説を)求めることができます。手元にある 『敏感に反応する炎』を持ってください。音色が熱分子の振動の比と共鳴して打たれたならば、炎は音(または打たれた音)に即座に反応し、舞い、音とともにリズムで鳴ることを科学が教えてくれます。
しかし、オカルト科学によると、音が強くなると炎が消えてしまうこともあります(イシス・アンヴェールド、第一巻、606頁、607頁)。もう一つの証拠は。ワイングラスまたは非常に繊細で透明なガラスのタンブラーを用意してください。それを銀製のスプーンで優しく打つことによって、確定した音色を作り出します。その後、グラスの縁を湿った指で擦って同じ音色を再現し、成功した場合、ガラスはすぐに割れて粉砕されます。他のすべての音とは無関係に、その特定の振動がその粒子にそのような激動を引き起こし、合成物全体が崩れ落ちることになるので、ガラスはそれ自身の基本的な音色の強烈さに耐えることができません。
問:催眠術によって治療しても病気になるのは何が影響しているのですか?本当に彼らの病気が治ったのですか、あるいは症状が延期されたのですか、それとも別の形で現れているのか、病的カルマですか?もしそうなら、それらを治療しようとするのは正しいのでしょうか?
答:催眠療法は永遠に治療することを提案するのかもしれませんし、そうでないかもしれません。すべては、操作者と患者との磁気的な関係の程度に依ります。 もしカルマ的な場合は、それらは延期されるだけで、病気ではない別の種類の懲罰的な悪として、他のかたちで返されます。私達はできる限りどんな時でも苦しみを和らげ、努力し、常に『正しく』あることに最善を尽くすべきです。人間は不快な湿った小部屋にいると寒いと感じます、罪人が正当に懲罰を受ける場合、刑務所の医者がそれを治療しようとすべきでないのは何故なのでしょうか?
問:操作者の催眠的な『暗示』を話す必要がありますか?彼は『暗示』を考えるのに十分ではないのでしょうか、彼が彼の主題に印象づけている傾向を「彼」が知らないか、気づかないようにすることさえ出来ないのでしょうか?
答:もし両者の間の親密さが一度にしっかり確立されていれば、確かにそうではありません。思考は、彼の操作者の意志に患者の意思を実際に従属させた場合、話すことよりも強力です。しかし、一方で、『暗示』の主題が善のみではなく、利己的な動機から完全に免れない場合、思考による暗示は、発言の暗示よりも悪い結果をはらんだ黒魔術の行為になります。自分や社会の利益がない限り、自分の自由意志を人から奪うのは常に間違っていますし違法です。前者(『暗示』の主題が善のみ)であっても大きな差別をもって行わなければなりません。オカルティズムは、すべての無差別の試みを、意識的であろうとなかろうと、黒魔術と妖術とみなします。
問:操作者の性格と動機は、瞬時に或いは遠隔地への結果に影響しますか?
答:これまでのところ、催眠術の過程は操作者の施術によって白魔術か黒魔術のいずれかになります、それは最後の答えで示します。
問:病による患者だけでなく、飲酒や虚言癖のような習慣を起因とする患者に催眠術をかけることは賢明ですか?
答:それは慈善と優しさの行為であり、智慧の隣にあります。なぜなら、彼の悪質な習慣を退かせることは、彼の良いカルマには何も加えないでしょう(彼自身の自由意志を改革し、大きな精神的、肉体的闘争を必要とします)、それでも、成功した『暗示』は、彼にとって、いっそう悪いカルマを生成して、常に彼の犯罪の過去の記録に追加することを妨げます。
問:信念(をもつ)治療者が成功するとき、彼自身が実行することは何ですか?その奇術は彼の諸規範と彼のカルマとが活動しているのですか?
答:想像力は、私達の生活のすべての出来事において強力な助けとなります。
想像力は信念に作用し、どちらも人生の道は障害物や荒れた岩で邪魔されています、多かれ少なかれ深く刻む意志のスケッチを用意している製図者たちです。
パラケルススは次のように述べています、『信念は想像力を確かめなければなりません、なぜならば、信念は意志を確立します...決意はすべての魔術的施術の始まりです....人間は完全に結果を想像して信じていません、それは不確実ですが、完全に確実かもしれません』これはすべて秘密です。私達の病気の半分や、3分の2は私達の想像力と恐怖の成果です。
後からのものを破壊し、前のものに別の傾向を与え、状態は休止するでしょう。方法自体に罪深い有害なものはありません、彼の「力」への自信が際立って傲慢すぎるときに、信念の治療者からは警戒されます、彼が考えたときには必要とする病気を望むことができます、それらは向きを変え災いになりますが、専門の外科医と内科医師の助けを即時に借りれば、それらが致命的なことになりません。
ー脚注—
- オカルティズムで用いられる単語の原子は科学によって与えられたものとは異なる特別な意味を持っています。
〜おわり〜
字句訂正・・・階層を界層に(2018/12/27)
【オカルティズムに関する研究】より 催眠術ー1
<ブラヴァツキー・ロッジ、機関誌『ルシファー』1887-1891より抜粋>
H.P.ブラヴァツキー 著
aquamarith (ハテナ名) 訳
催眠術、その他の魔力の方法との関係(1)
私達へ『H.C.』と、他の仲間達から、いくつかの質問がありました。質問には指定された形式通りに答えますが、オカルティズムの立場に限定して答えるべきでしょう、秘教の教えと対立する可能性があるような、現代科学(『物質主義』の別名)の仮説を考慮してはいません。
問:催眠術とは何でしょうか:動物磁気(またはメスメリズム)とは、どのように違うのですか?
答:古くから余り知られていない『魔力にかかる』や『エンチャントメント(魔法にかかる)』などと呼ばれる、『迷信』の新しい学名が、催眠術です。それは古くから伝わってきた迷信が現代になって真実に変わりました。事実はそこにありますが、科学的な説明はまだ不足しています。いくつかの例によって、催眠作用は神経の周囲に人工的に作られた刺激の結果であると信じられていて、この刺激が反応することによって脳物質の細胞に入り、その疲労によって睡眠の別の状態(催眠、または睡眠)である状態を引き起こします、主に想像力などで作られた単に自己誘発性の昏睡状態であるということが他の例によって知られています。
催眠術は、金属または水晶の幾つかの明るい場所に視点をあわせるような、純粋に機械的な方法であるブレイド(Braid)法によって催眠状態が生じます、これは動物磁気とは違います。『メスメリック』が患者を通り過ぎることが理由となり催眠状態が達成されたとき、『動物磁気』(またはメスメリズム)になります。一番目のブレイドの方法が行われるとき、電気-超自然的または電気的-物理的電流は作用しませんが、被験者が凝視した金属または水晶の単なる機械的、分子的振動は作用します。目は私達の身体の表面にありながら、最も隠された器官であり、金属や水晶と脳との間の媒体として働き、後に神経中心の分子振動を共鳴させ(すなわち、それらのそれぞれの振動の数における等価性)、保持された明るい物体の振動と比較します。そして、催眠状態を作り出すのはこの共鳴です。しかし、二番目のケースでは、催眠術の正しい名前は確かに『動物磁気』であるか、あるいは多くは嘲笑的な用語『メスメリズム』とされています。
予備的な方法による催眠状態で、患者の神経系に作用するのは、操作者自身の意識であってもなくても人間の意志です。そして、空間のエーテル(したがって、全く別の界層で)の中で、『意志(Will)』と呼ばれるエネルギーによって生み出された振動--分子ではなく、原子だけ--、で超催眠状態(すなわち、『暗示』など)が引き起こされます。私達が『意志-振動』および、それらオーラ(アウラ)と呼ぶものについては、単に機械的な分子運動によって生み出される振動とはまったく別で、二つは宇宙界層-地球界層の二つの別々の段階の動きに作用します。 ここではもちろん、オカルト科学における意志という意味であることを明確に理解することが必要です。
問:催眠術と動物磁気は共に、操作者から発せられた何かが彼の患者のなかを通過します、その何かは患者へ影響を与えます。催眠術と動物磁気が伝えるもの『何か』とは何でしょうか?
答:その『何か』を表す名称がヨーロッパの言語にはありません、その名称を単純に意に反して記述すると、その意味はすべて失われます。『魔法にかかる』『魅惑』『魔力』『呪文』、そして、特別な動詞『呪文にかかる』といった古くてタブーであった言葉は、このような伝達の過程で起こった実際の作用を、見事に思い起こさせる表現ですので、現代の『心理学的説明』用語や『生物学的説明』用語で表すことは無意味です。
オカルティズムでは、『オーラ的な光』と区別するために、伝達する力を『オーラ的な流体』と呼びます、『流体』は、より高い界層上の複数原子の相関であり、感知できず目に見えません、塑造物質の形へ、潜在的な意志によって生成され導かれた、この下部のものへの降下です。ライヒェンバッハ(Reichenbach)が『オド(Od)』と呼ぶ自然界の生き生きとした無生物を包囲する光である『オーラ的な光』は、一方では物体からのアストラル反射であり、その特定の色と複数の色の組み合わせと種類、グナ*の状態、あるいは、それぞれの特殊な対象と実体の性質と特徴を意味します、人間のオーラがすべての中で最も強いです。
<訳者注 グナ*・・宇宙の根本原理プラクリティを構成する三つの要素。>
問: 『吸血鬼状態(ヴァンピリズム)』の根拠は何ですか?
答:この言葉が、ある人から別の人へのある種の隠された浸透によって、ある人の活力の一部、すなわち生命のエッセンスを非自発的に伝達することを意味するならば、後者(別の人)はそのような吸血鬼化する(ヴァンピライジング)能力を与えられます、私達はちょうど今話している半ば実質的な 『オーラ的な流体』の性質とエッセンスを深く研究するときだけ、行為は理解できるようになります。この(オーラ的な流体)性質で他のすべてのオカルトの表現形式[フォース(力)?]と同様に、内側への浸透圧と外側への浸透圧(end- and exosmosic) 過程は、無意識、或いは意志によって、有益にも有害なものにすることができます。
健全な操作者が患者をメスメライズで、強い願望を取り除き治療することに意欲をみせると、操作者が感じる疲労は与えた救済に比例します、すなわち内側への浸透の過程が起こり、治療家は自身の活気あるオーラで病人に利益をもたらします。一方、ヴァンピリズム(吸血鬼状態)は、盲目的で機械的なプロセスであり、一般的には知識なく作られる吸収体、またはヴァンピライズ(吸血鬼化)の集合体です、場合によっては、それは意識的または無意識の黒魔術かもしれません。訓練を受けたアデプトや妖術師の場合、そのプロセスは意識的に、そして意志(Will)の導きによって行われます。両方とも伝達物質は、磁気的で魔力的な能力であり、その結果は地上的および生理学的であり四次元界層上で引き起こされ生成されます – 複数原子の領域です。
問:催眠術『黒魔術』はどのような状況下にありますか?
答:いくつかの例をあげても、ちょうど論議された状況のもとで、主題を完全に補って答えるためには、いっそう多くの余裕が必要です。操作者を動かす動機が利己的であったり、生きている存在たちに有害であるならば何時でも、そういった行為はすべて黒魔術として私達は分類します。治療者がメスメライズで健全な活力のある液体を患者に与えれば、病気を治せます、しかしそれがあまりにも多いときは死に至らせることになります。
[このことは、振動実験でタンブラーを粉々にしているときの問7の答えで、その説明を受けます。]
問:旋回鏡などの機械的手段によって生成される催眠と、操作者の直接凝視によって生成される催眠(魔力)との間には何らかの違いがありますか?
答:この違いについては、問1への答えで述べているはずです。操作者の凝視は、催眠術者の単純な機械的なパス(通過)の手段よりも、より強力なので危険です、十中八九どのようであるかは知ることはできません、したがって意志で行うことはできません。秘教科学の学生たちは、オカルトの対応の法則によって、前者(機械的手段による)の行動が物質の最初(最低)の界層で行われ、後者(操作者の直接凝視)は十分に集中した意志が必要であるということを認識しなければなりません、操作者が不敬な初心者であれば4番目の界層で、操作者が何らかのオカルティストであれば5番目の界層で行われます。
問:水晶の小片あるいは明るい記章の小片は、何故ある人を催眠状態に陥れたり、別の人には対処法のない影響を与えるのでしょうか?これに対する答えは、ある種の混乱を解決するのではとないかと考えます。
答:科学は、この主題に対して様々な仮説を提示してきましたが、これまでのところ、どれひとつ明確なものとして確立していませんでした。これは、そういったすべての思惑が、隠れた諸力と機械的な理論を伴う物質-物理現象の悪循環で巡っているからです。 『オーラ的な流体』は科学者によって認識がなされないため彼らはそれを拒否します。彼らは金属-治療術の有効性について何年経っても信じないのです、しかし、これらの金属の影響は、その体液や電流が神経系に作用することによるものでしょうか?ただ単に、この体系と電気の活動の間に類似が存在することが判明したからでしょう。
この理論は失敗しました、なぜなら、きわめて注意深い観察と実験にぶつかったからです。まず第一に、この金属-治療術に示された基本的な事実と相反していました。この特徴は、(a)あらゆる金属があらゆる神経疾患に作用するわけではなく、ある患者はある金属に敏感であり、他のすべての金属はその患者に何の影響ももたらしませんでした。 (b)特定の金属の影響を受けた患者は殆どいないだけでなく例外的でした。これは、病気を治し、病気に影響を与える『電気流体』は、理論家の想像力だけに存在することを示しました。実際に存在していれば、すべての金属がすべての患者に多かれ少なかれ影響するだろうし、金属は別々に用いられ、神経疾患のすべての症例に影響を与え、そのような流体を生成する条件は、まさに同じでしょう。
このように、シャルコット博士は、かつて金属-治療術を見つけ出したバーク博士を擁護していました、シフ(Shiff)と他の人たちは、電気流体を信じているすべての人からの信用を失ってしまい、現在、当然ながら生理学においての分子運動にしばらくは支配されているようです。しかし、今や疑問が浮かび上がってきます。『実際の性質および動きと状態は、流体の性質および動きと状態よりも優れているのでしょうか?』それは疑わしいことです。いずれにしても、オカルティズムは、電気または磁性流体(二つは真に同一である)が、本質的には同じ分子運動に起因し、今や原子エネルギー(1)に変換されていると主張しており、自然界にある他のすべての現象もまた同様でしょう。実際、ガルバノまたは電圧計の針が電気または磁性流体の存在を示す振動を示さない場合、これは少なくとも記録するものがないことを証明してはいないのであって、単に別のより高い作用界層に移動しただけで、電位計は、もはや完全に切り離された界層上に表示されるエネルギーの影響を受けることができなくなります。
催眠術、電気、金属-治療術、または『魔力』を問わず、ある人間や物体から他の人間や物体に伝達される力の対象は、エッセンスと同じであることを示すために、上記の説明をしなければならなかった程度でしかなく、それが作用している物質のサブ界層に従って修正されています、その中のサブ界層は、オカルティストであれば誰もが知っていること、すなわち私達の地球の界層は七つあり、それぞれ互いに接しているということです。
つづく~
字句訂正・・・階層を界層に(2018/12/27)