【秘密教義のオカルティズム】 — 8章「エノク書」、エノクについて・・・その2
<原書・初版1897年発行>
シークレット・ドクトリンのオカルティズム
(第3巻) ― 8章
H.P.ブラヴァツキー 原著
アニー・ベサント 編著
*[角括弧]はアニー・ベサントによる追補*
エノク書は、風、海、雹、霜、露、雷光、轟く雷鳴などを統轄している個々の天使たち動きを通じての諸元素の超自然的な支配の記録もしている。主な堕天使の名前も伝えられている、ヘブライ-カルデア人の呪術用の素焼の陶器に刻まれる呪文[魔術的な]中に、幾つかの未顕現諸動力の名が挙がっていることを我々は確認することができる。*(4)
これらのカップに刻まれた「ハレルヤ」という言葉を我々も見ることができる。それは次のことを示している、
古代シリア-カルデアの悪霊呼び出しに用いた呪文が、言語の栄枯盛衰を経て、現代の信仰復興論者特有な文句になった。*(5)
編集者は、この後「福音書」と「使徒行伝」の様々な箇所から57の詩句を抜き出し、エノク書と類似している引用部分をとりあげ次のように言う:
「ユダの手紙」の引用部分に集中的に注目したのは神学者たちであった、その理由は、この著者が預言者の名前を挙げていたからである、エノクと「新約聖書」聖典の著者たちの間に累積する言語と思考の偶然の一致は、我々が比較照合した類似の過程で明らかにされた、この「セム系ミルトン」の著作が、福音書記者たちと使徒たち、あるいは彼らの名を書き込んだ人々が、復活、審判、不死、破滅などの概念や、さらに「人の子たち」への永遠の支配の下での普遍的な正義の支配の概念を借用してきた無尽蔵な源であったということである。そして福音書の剽窃は「ヨハネの黙示録」で最大に達し、エノクの幻視を修正しキリスト教の教えに適用させている、その修正は黙示録的な予言の偉大な師、すなわちノアの洪水前の古代の長老の名前を預言したという崇高だが単純なことを見逃していた。*(6)
真実に公正であるためには、僅かでも仮説が示される必要がある、現存する「エノク書」は、多くの「前キリスト教」や「後のキリスト教」による加筆や改ざんという展開があり、はるかに古い文書からの単なる転写にすぎない。現代の研究では、エノクが記した71章に、一昼夜を18の部分に分け、一年を18の部分にわけて、そのなかの12の部分が最も長い日を表したとしているのである、だがパレスチナでは1日が16時間であることは起こりえないとされている、翻訳者の大司教ローレンスは、次のように論評する:
この著者が住んでいた地方は、最長の日が15時間半であり北緯41度以上でなければならなかった、またおそらく、北緯49度の地方では最長の日は正確に16時間であった。そして住んでいた国は、少なくともカスピ海と黒海の北方地方となる...だが「エノク書」の著者は、おそらく、シャルマネセルが連れて去り、“ゴシェン川に近い、ハラやハボル、共に古代メソポタミア北方の地、そしてメディアの諸都市”に住まわせた一種族の一員であった。*(7)
さらに、次のことが明らかになる
「旧約聖書」が「エノク書」より優れているという内在的証拠を証明することはできない... 「エノク書」は、「人の子たち」、「選ばれた存在」、「メシア」たちが先に存在していたことを教える、それらは“秘密のうちに最初から存在し、*(8)太陽と諸(星座)宮が創造される前に、それらの名が「聖霊の主」の面前で呼び出されていた。”
また著者は“その日、地球の上方で水の上をおおっていた他の「動力**」”と、創世記一章二節の言葉を比較して言う。*(9)[我々はそれとヒンドゥーのナーラーヤナ―すなわち “水の上を動くもの”とが、同様にあてはまると主張する。]こうして我々は「諸霊の主」、「選ばれた存在」、「第三の動力」を未来性の三位一体[トリムールティ(三神一体)]として予示しているように見える、おそらくエノクの理想的なメシアは、「人の子たち」の神聖な原初的な概念に重要な影響を及ぼしたとみられる、しかしアレキサンドリア学派の三位一体論による、他の“動力”への彼の不明瞭な言及を確認することに我々は失敗してしまった、なぜならば、エノクの幻視では特に、大多数の“動力の天使たち”で満ちているからである。*(10)
オカルティストは、前述の“動力”を確認出来ないことなど皆無である、編者は彼の注目に値する見解を次のように付け加える:
ここ迄で我々は「エノク書」が、ある偉大なセム系[?]種族の「未知の者」により、キリスト紀元より前に発行されていたことを知った、「未知の者」は預言者治世の時代に自らが霊感を受けていると信じていた、ノアの洪水前の長老の名前を借りたのは、救世主的概念を持つ王国に関わる彼自身の熱狂的な予告を権威付けしようとしたからである。*(11)
そして、彼の驚くべき書の内容が、「新約聖書」の構成のなかに自由に組み入れられてしまったことから分かったことは、著者がキリスト教の教えを予言し霊感を受けた預言者ではなかったとされて、幻影によって彼が認めた啓示は福音書記者と使徒によるものであったことになり、神およびキリスト教における人間の起源を含む他の結論も受け入れることとなり、彼は幻覚者であり狂信者であったことになる。*(12)
同編者の言葉による全ての結論は以下の通りである:
啓示と断定された言葉と考えが、先に存在した著作のなかに見つかり、福音書記者と使徒により霊感を受けたものとして受け入れられたが、現代の神学者により偽書として分類された。*(13)
これは、ボドリアン図書館の聖職者司書が、「エノク書」のエチオピア語文書の出版に気が進まなかったという説明である。
脚注 ———————————————
*(4) 上記引用文中に
*(5) 前掲書、p14、注
*(6) 前掲書、p35
*(7) 前掲書、p13
*(8) 第七本質、最初の流出。
*(9) 前掲書のp37、p40
*(10) 前掲書、p40、p51
*(11) 「太陽」またはマンヴァンタリック年を表す
*(12) 前掲書、p41、p42
*(13) [前、p48]
**2018年11月17日訂正(Power、Force)
<訳者より・単語と用例>Power(動力)Force(力)の用例は以下の通り。第3巻25章東洋と西洋のオカルティズムより
God is harmony, the astronomy of Powers and Unity outside of the World.
「神」は調和であり、諸動力(パワー)の天文(宇宙)であり「世界」の外的「統一」である
Eternal life is Motion equilibrated by the alternate manifestations of force.
永遠の生命は、交互に反転するフォース(力)の様相によって釣り合っている「作用(動き)」である。
つづく。
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☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。
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