H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

【秘密教義】 第2巻 第2部ー21章 エノイキオン — へノック(その3)   

  <<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>

    ーーエノクとは何か、秘教的なのかーー

 

        シークレット・ドクトリン【秘密教義】 

         第2巻―第2部 ―21章  

                      H.P.ブラヴァツキー 著

                                                 aquamarith (ハテナ名)    訳 

 

◎エノクとは何か、秘教的なのか

 単に象徴的な鍵に促され解釈されたエノクは、人の霊的で物質的な二重の性質をもつ基本型である。したがって、彼は天文学的な十字(秘密の文献からエリファス・レヴィによって与えられた)の中心を占めている、これは6つの先端をもつ星“アドナイ”である。上三角には鷲があり、[人物から見て] 左下の三角形にはライオンが立ち、右には雄牛が立ち、そしてライオンと雄牛の間、鷲の下に、エノクあるいは人の顔がある。 いま上の三角形内の插絵は最初の人種を除いた第四諸人種を表している – それはチャーヤー (Chhayas)または影たちである – “人の子たち”「エノス」即ち「エノク」は中心にいて、ふたつの(第四と第五)人種の間に立っている、彼が両方の秘密の智慧を代表しているからである。これらはエゼキエルの、そしてヨハネの黙示録の四動物である。[アドナイ・下図を参照]

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(イシス・アンヴェールド、第2巻452頁の図を転載)

 イシス・アンヴェールドの第2巻(453頁)に書かれているヒンドゥーのアドナイは、同じ二重の三角であり、最も適している。そのため我々にとっての歴史上の三人種だけは、ここで象徴されていた;アダ-ナリによる第三は中性的であり;第四は強力なライオンによって象徴された、そして第五は – アーリア人 – として、今日までその最も神聖なシンボルである雄牛(牛)によって象徴された。[アドナイ・下図を参照]

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(イシス・アンヴェールド、第2巻453頁の図を転載)

 

 偉大で博識な、フランスの大家M.ド・サシは、類稀な幾つかの主張をエノク書のなかに発見した。そして“それは最も重大な検討に値する”と彼は言う。たとえば、“著者(エノク)の記述によれば、太陽年は364日で構成されており、3、5、8の時代を知っているようであり、4つの補助日が続き、それらは、彼の体系で、昼夜平分時と至であるように見える。*・・・彼は後に、“なるほどだが、それら(これらの『不条理』)を言い繕うことを意味するのではない、あくまでも推測ではあるが、ノアの大洪水の時代に自然界の様相が変わっていたかもしれないという、著者の若干の空想的な体系を説明するものだ”と付け加える。

 

 まさにその通りである、シークレット・ドクトリンはその“自然界の様相”がこのように作り変えられたことを教え、地球の人文科学の一連もそうであると教えた。

 天使ウリエルがエノクに告げる、“見よ、我は汝にすべてのものを示した、おお、エノク、汝にすべてのことを明らかにした。天の星々の運行や、太陽、月、そして季節、そして順行が戻る原因になるすべての操作、順行、逆行を汝に見せた。罪人たちの時代に、年は短くなるだろう. . . 月は、その幾つもの法則を変えるであろう”(第79章)。

 

 巨大洪水以前の頃にも、アトランティス人が滅ぼされ、地球全体の様相は変わった、— なぜなら “地球(地軸上で)が、傾けられた”からである、— 地球が傾いてしまったことによって、自然、地質学的、天文学的そして、宇宙的状況は通常と同じであったはずなどない。64(11章)を見ると ・・・ “そして、ノアは、『話を聞いてください、話を聞いてください、話を聞いてください』という苦々しい声をあげて三回泣いた。 そして、彼は、『地球は働いて、激しく傾けられる、私はそれで死ぬだろう』と言った。”

 

 聖書が文字通り読まれるとすれば、これは多くの“矛盾”のひとつであるように見える。控えめに言っても、“主の目にかなった恵みを得て”箱を造るように言われたもの者にとって、これは非常に奇妙な恐怖であるからだ!しかし、ここでは、神の“友人”というよりも、まるで彼が怒りに満ちた神格によって運命づけられた巨人の一人であるとしている、多くの恐怖を立派な長老派の主教が表明していることを我々は見つける。地球はすでに傾いていて、水が押し寄せて来るのは単に時間の問題になっているが、ノアは意図された救済について何も知らないようである。

 

 実際に天の定めが来た、自然の定めと進化の法則、地球はその人種を変えなければならない、第四人種は、より良い人種のための余地を与えるために破壊されるべきであった。マンヴァンタラは第三周期半の転機に達し、物理的に巨大な人類は、まぎれもなく物質性の最盛期に達した。

 それゆえに、黙示録の韻文は、彼らが滅ぼされるかもしれないことを前提として戒めであり、“これが彼らの(人種の)終わりかもしれない”とする語りである、彼らは真に“天使達のすべての秘密、サタン達のすべての非道な秘密の在力、妖術をかける者の在力、同じように地球全体に鋳象(複数)を作る者の在力”を本当に知っていたからである。

 

 さて、これは自然な質問である。地球が時折軸を傾けることがあるという、この強烈な光景(ガリレオの時代以前に割り当て可能な、いかなる年代でも)を聖書外典の著者に伝えることができたのは誰だったのだろうか? 古代の賢者たちとピタゴラスが心酔していた秘密の智慧が、後の年代の作り話であるとすれば、どうして彼はそのような天文学的および地質学的知識を導き出したのだろうか?

 

脚注 ———————————————

* 哲学年報(393頁)における、デ・サシ記載のダニエロの批判を参照。

 

つづく。

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 ☆個人的に興味があった章の一部のみの記載です、素人の抄訳で誤訳もあるかと思います、不明な箇所は原著の頁を御覧ください。

 

 ☆原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol.2 ,  Isis Unveiled  Vol. 2】を参照しました。

【秘密教義】 第2巻 第2部ー21章 エノイキオン — へノック(その2)  

 <<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>

     ーーアデプトは死んだ、しかし生きている。ーー

 

        シークレット・ドクトリン【秘密教義】 

         第2巻―第2部 ―21章  

                      H.P.ブラヴァツキー 著

                                                   aquamarith (ハテナ名)  訳

 

 ◎アデプトは死んだ、しかし生きている。

 エリヤは生きたまま天に持ち挙げられた、同じようにカルデア人占星術師ヘア・バニ (Hea-bani) は、イシュバールの宮廷で、彼の支援者であるヘア神によって天に持ち挙げられた、ヘア神はエホバでありエリヤ(ヘブライ語では“ヤー・神”、ヤハウェ、の意味 )である、エリフもやはり同じ意味を持つ。

 こういった単なる死や安楽な死は、秘教的な意味を持っている。内在的力と階級に達したあらゆるアデプトの象徴的な死は浄化であり、物質的な肉体だけは死んだが、まだ生きていてアストラル体で意識的な生活を送ることができる。このテーマの変種は終りがないが、秘匿された意味は同じである。

 

 パウロ書簡(ヘブライ人への手紙 11-5)に記されている“死を見ることのないように移された、あるいは“死を見ないようにされた(ut non videret mortem)”、このことは秘教的意味を持つが超自然的なものではない。 “エノクの年数と世界の年数を同じにする”(太陽年、365日)はエノクの聖書的な幾つかの手がかりに誤った解釈が与えられたのである、エノクは「救世主」と預言者「エリヤ」と同様に、反救世主を破壊し、最後に至福を到来させたのである ー すべての誤りがなくなり、真実の到来が神聖な “光の子たち”であるシシュタによって告げられ、偉大なアデプトの何人かは第七人種のときに戻ることを、秘教的に示している。

 

 ラテン教会は必ずしも論理的でも慎重でもない。“エノク書”を聖書外典だと宣言し、カジェタン枢機卿と教会の著名な別の人物を介して、聖典であるユダの書からであっても拒否を要求するほど離れていった、しかし啓示を受けた使徒は出所の怪しい文書であると言われているエノク書を引用して、このように神聖にしたのである。

 幸いにも、教義論の一部は、その時点で危険性を認めた。 彼らがカジェタンの決議を受け入れたならば、同様に4番目の福音書を拒絶することを強制されているのだろう、 全く同じように、聖ヨハネが文字どおりエノクとイエスの語った言葉から、全部の文章を借りたのだろう! (上記参照、副節§17. A、羊と強盗について。)

 

 “エチオピア語群文献の父”、ルドルフは、旅人ペーレスクによって示された様々なエノキアン写本を調査するよう委嘱され、マザラン図書館に“エノク書が、アビシニア語では存在したことがなかった”と断言したのである!更なる研究と発見のすべてを知っているかのような、彼のあまりにも独断的な主張は最悪だった。

 

 ブルースとルッペルは、数年後にアビシニアから同じ写本を見つけ出し、ローレンス司教がそれを翻訳した。 しかし、ブルースはそれを軽蔑し、その内容を嘲笑した、それは科学者達や他の人達も同様であった。 彼はそれを“グノーシス主義の作品”と宣言した。その翻訳には人々を“むさぼり食う巨人の時代”— が与えられていた・・・それは別の “黙示録”であり、別の巨人!のおとぎ話の一つである。

 しかし、それは良識ある評論家すべての意見ではなかった。ハンネバーグ博士は、エノク書をマカベア書の第三巻と同列だとして、聖書正典に最も近い一覧表の権威的な位置である先頭に置くのである。

 

 これは真に、“教授たちの意見が一致しないところであって. . .”

 

 いつもながら、彼らの意見は全く正しくもあり間違いでもあった。エノクを聖書的な特徴を持つ、ひとりの生きている人間と認めることは、アダムを最初の人と認めるようなものである。エノクは一般的な名称であり、すべての時代と時間であり、あらゆる人種と国であり、個人に広く使用されたことにより伝えられていた。

 

 これはハノック(エレドの子)についての見解に、古代タルムード研究家とミドラシムの教師たちは、概して合意しないという事実から簡単に推論されるかもしれない・・・・エノクは、神に愛され、天に生きたまま取られた偉大な聖者(即ち、地上でムクティやニルヴァーナに到達した仏陀のような聖者)であったと言われる一方で、他の人たちは、彼のことを妖術師であり邪悪な魔法使いであったと主張した。

 

 「エノク」あるいは「同等のもの」は用語として使われた、その意味は“千里眼者”、“神聖な智慧のアデプト”などであり、如何なる肩書(title)-擁護者の特徴の列挙に関するものではなく、後のタルムード研究家の時代であっても、そのように使われた。

 エリヤとエノク(古代遺物(Antiquities). 9. 2)についてヨセフスは次のように述べている、それは“神聖な書に、彼ら(エリヤとエノク)が誰も知らないうちに死んで姿を消したと記されている”それは、いわゆる人格が死んだという意味である、当時のインドのヨギたち、そして世界中のキリスト教修道士の幾人かでさえも、同じである。彼らは死んで人間の視界から姿を消す、すなわち地球上に存在する自分自身を消すということである。一見して比喩的な表現方法だが、文字通り真実である。

 

 “ハノックは、ノアに天文学的な計算、そして季節を算定する科学を伝授した” とミドラシュ・ピーカー・R. エリザー(cap. 8.)は述べる、そして他の者たちがヘルメス・トリスメギストスに伝授したことをヘノックに引用している、なぜなら、彼らの秘教的意味によれば、この二つは同一だからである。この場合の “ハノック”と彼の“智慧”は、第4のアトランティス人種*、そして第五のノアの周期に属している。† 

 

 この場合、両方とも根本人種を表し、現在と、それ以前の根本人種を表している。 他の意味をあげると、エノクは姿を消し、 “彼は神と歩いていたが、彼はなかった、神が彼を連れて行ったので”である、この寓話は、人々の間から神聖な知識と秘密の知識が消滅することを指している、“神”(またはジャヴァ・アリム- 高等秘儀の司祭、秘儀の司祭長)が彼を連れて行った、言い換えれば、エノクやエノイキオン、千里眼者たちの知識と知恵が、やがて預言者たちの秘密寺院やユダヤ人たち、異邦人たちの寺院に厳密に限られたものになった。

脚注 ———————————————

* ゾハールによると“ハノックは、アダムの世代に記された書を持っていた、そしてこれは、智慧の神秘である”と述べた。

† ノアは、エノクの智慧の相続人である、言い換えると、第五人種は第四人種の相続人である。

‡ イシス・アンヴェールド、第1巻、575頁、以下参照。

 

 つづく。

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 ☆個人的に興味があった章だけの記載です、素人の抄訳で誤訳もあるかと思います、不明な箇所は原著の頁を御覧ください。

 

 ☆原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol.2】 を参照しました。

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 【秘密教義】 第2巻 第2部ー21章 エノイキオン — へノック(その1)   

<<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>

   ーー創作したのは誰か?ーー

 

        シークレット・ドクトリン【秘密教義】 

         第2巻―第2部 ―21章  529頁~

                      H.P.ブラヴァツキー 著

                                                 aquamarith (ハテナ名)    訳

                    

  ◎創作したのは誰か?

 神秘的で普遍的な「エノク」の特徴を排除するならば、サタン的な神話の歴史的進展は完全とはいえないだろう、エノクはギリシャ語で「エノス」や「ハノック」、そして最終的に「エノイキオン」と呼ばれた。堕天使の最初の概念は初期のキリスト教の執筆者によって、エノクの書からとられていたのである。

 

 “エノク書”は、出所が不確かだと公に認められている。しかし、典拠が不明な文書とは如何なるものであろうか?この書の語源は単に秘密の本であり、法皇の保護の下にある寺院図書館の冊子に属するもの、聖職者に教授するものである、決して不敬なものではなかった。

 さらに、「聖書外典」の語源は、秘密、[クルプト(krupto)]、“隠れる”という動詞に由来がある。エノク書千里眼者の本)が現存した時代には、“本の都市”や秘密の著作物として保存されていた、本の都市すなわち古代キルヤテ-セフェル、(Kirjath-Sepher)は後に、デビル(Debir)となったのである。(ヨシュア15,15を参照)。

 

 この話題に興味がある作家 — 特にメイソンたち — の何人かは、エノクをギリシャのヘルメスや、メンフィスのトート、そして、ラテン系のマーキュリーまでも同一視しようと試みた。しかし、この方々全ては個々の互いに異なる存在である;専門的に — この言葉を使うならば、今日では、その意味はいっそう制限されたかもしれない — 彼らは、神聖な作家と同じ分野に属し、オカルトと古代の智慧の記録者たち秘儀参入者たちに属する方々である。

 

 クルド民族(イスラムコーランの章、スーラ19を参照。)からは、エドリスあるいは“学んだ”(秘儀参入した)と総称的に言われた、そしてエジプトの芸術の創案、科学、音楽や天文学の文書や書簡では“トート”の名前が突破口となる。ユダヤ人の間ではエドリスは、“エノク”になった、バル-ヘブラエウスの言説によれば、彼は“初めて文書を考案”して、書物、芸術と科学、惑星運行の体系を導入した最初の人物である。ギリシャでは、彼はオルフェウスと呼ばれている、このように様々な国で彼の名前は変化したのである。

 

 一年を365日という数の天文単位で表すように、7という数は、原初的な秘儀参入者*(1)それぞれに任務、品格、神聖な任務を付随させ関係付けられているが、それらはもちろん彼らの個性ではない。エノクは7番目の長老であり;オルフェウスは、7弦の竪琴(ホーミンクス)の所有主であり、秘儀参入の7重の神秘である。

 

 トートは、自身の頭に7-光線を放つ太陽の円盤をもち、太陽の小舟で365度、旅行して、4年度に一日 (突出)する。 最終的に、トート-ルヌスは7番目の神であり、週および7日の神である。 秘教的そして霊的にエノイキオンは“開眼の予言者”を意味する。

 

 エノクについての話をヨセフスが語った、すなわち、彼(エノク)がマーキュリーやセトの柱の下に貴重な巻物群あるいは書物群を隠しており、それはヘルメスの “「智慧」の父”彼が智慧の書を柱の下に隠したものと同じである、そして二つの石柱を見つけ、その上に書かれた科学についての記述を見つけたという話しである。

 しかし、ヨセフスは、イスラエルの不名誉な栄光の方向への絶え間ない努力にもかかわらず、彼は、その科学(智慧の)がユダヤ人のエノクに帰しているとして--歴史に記している。

 彼は彼自身の時代に、それらの柱がまだ存在していることを示している。それらがセトによって建造されたと彼は語った;その名の長老はアダムの伝説の息子、またエジプトの「智慧」の神ではなかったのであろう – それは、テト、セト、トート、タト、サト(Sat)(後のサタン(Sat-an))、ヘルメスといった全ての者のことである、そしてエジプトとバビロンの法皇の名前すなわち “蛇神の子たち”、“龍の子たち”は大洪水の前に知られていたのである、彼らはアトランティスの者たちの祖先である。

 

 ヨセフスが我々に語ったことは、それが妥当だとされたものを除いては、比喩的に真実でなければならない。彼の解釈によると、有名な2本の柱は象形文字で完全に覆われていて、発見の後、エジプト内にある寺院の最高秘密の一角で象形文字は転写され、再現され、知恵と卓越した学びの源になった。

 これらの2本の“柱”は“主”の命令によりモーセが切り取った2つの“石の表”の原型である。したがって、— オルフェウス、ヘシオドス、ピタゴラスプラトンのような — 古代の偉大な全てのアデプトや神秘主義者は、それらの象形文字から神学の原理を得ているということである、この認識は一方で正しく、他方では間違っている、すなわち正確さにおいて誤りである。大洪水ではない洪水に先行した、普遍的に知られている最後のすべての国家の芸術、科学、神学、特に哲学が、寓意的な堕落前の初期の「第三根本人種」から後の継承であり、「第四人種」、の原初の口伝から記録されたものであるとシークレット・ドクトリンは私たちに教える。

 

  したがってエジプトの柱、金属板、さらにはフリーメイソンの(Masonic)伝説の“白い東洋の斑紋石”であっても、— 本当の貴重な秘密が失われることを恐れてエノクは、大洪水の前に地球の内部にそれらを隠した、— それは単純で多少象徴的であり、原初的記録の原本からの寓意的な転写であった。現在非常に不完全な解説をしているが、“エノク書”はカルデア語であり、転写のひとつである。すでに述べているように、エノイキオンはギリシャ語で“内部の目”または「千里眼者」を意味する;そしてマソラ書の要旨の助けを借りれば、ヘブライ語で秘儀参入者と指導者の意味である。

 これは一般的なタイトルである、それに加えて、彼の伝説は幾多の預言者そしてユダヤ人と異教徒のものであり、細部の変更を伴っていても根本形式は同じである。

 

脚注 ———————————————

*(1)カノック、ハノック、またはエノクは、“人の子たち”エノス(創世記、第4章26参照)であるだけでなく“秘儀参入者”であり“教師”を意味する。

 

 つづく。

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☆個人的に興味があった章を記載しました、素人の翻訳で間違いもあるかと思いますので、不明な箇所は原著の頁を御覧ください。

☆このシークレット・ドクトリンの第2巻ー第2部ー21章(その1〜その4)の翻訳は、2017年4月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。

 

☆原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol.2】 を参照しました。

☆参考文献【聖書】新改訳 日本聖書刊行会

 

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【秘密教義】 第2巻―《結論》より

  <<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>

    ーーー科学の逆説。ーーー来るべき人種。ーーー

 

        シークレット・ドクトリン【秘密教義】 

 

 

         第2巻―《結論》より

 

 

                      H.P.ブラヴァツキー 著

                            aquamarith (ハテナ名)    訳 

 

  ~ 科学の逆説(から抜粋)~

Page 442

 

 偉大な真実は、通常1世紀か2世紀ほど経過しないと、決して受け入れられることはない、発見されたものが明確な事実であると認められた場合を除き、それは(事実の)可能性として人間の意識のなかで微かに光り始めた程度のことである。

 

 今日の真実は昨日の虚と間違いであり、そして逆もまた同じことである。ひとつ言えるのは現在執筆している全てではないが、その殆どが正しかったと証明されるのは20世紀になってからである。

 

 一般的に、人類や自然、出来事といったすべての進化は複数の周期のなかにあるということは、十分に言われていた。

 

 私たちは七つの人種を語る、五つの人種は地球での経験をほぼ完了しており、その根本人種とその亜人種や多くの種族は、前後の人種とはまったく異なっていたと述べた。

 

 人類学と民族学の問題点は、決りきった経験を根拠として反対することにある。“人”というのは、おそらく顔の特色と頭蓋能力の違いであり、世界の気候や地域の多様な違いがあったとしても、すべて人種と類型の違いだというのである。まったくもって、背丈においてさえ博物学者はこういうのである。これは“人”が猿と同じ無名の先祖を起源とするといっていることであり、彼らのいう最初の進化は二足動物から始まる、すなわち背丈と姿の無限の組み合わせなど全くないという論理的に不可能な主張である。

 

 両方の提案を持つ極めて論理的な人々は、彼ら自身を逆説的な状況に追い込んでしまうだろう。 もう一度、私たちはそれについてだけ述べる。神話の一般的な起源「つまり自然界の目に見える現象を考察するとわかること」が誰の事を叙述してあるのか疑ってみるが・・・考えてみると、それはこうである、「全ての神々の素晴らしい物語や、半神(巨人と小人)たち、龍たちと怪物たちは、その存在が変容によるものというよりも、考案されたことによって出来上がった存在である。」という信じがたい意見なのである。

 

 シークレット・ドクトリンが教えるのは、現在の人類の記憶と概念に見合う、身体的な特性における「変容」だけである。

 

 それは、現代科学の全く思惑的な仮説に直面する、かろうじて神殿等の破壊されていない伝説や記録をよりどころとしていて、僅か2~3世紀の経験と正確な観察に基づいた仮説とを照らし合わせてみたとしても、彼らヨーロッパ人の「歴史」と言う暗闇は、2~3千年程度遡った期間しかカバーしていない、そのクモの巣がかかって凝り固まった理論を払いのける必要性を古代の科学は私たちに語っている、今すぐに聞くべきは、私が説明する人類の記録である。

 

 人間の種族は、他からのひとつの存在として生まれて、成長し、発達し、歳をとり、死にいたる。国々とその亜人種は同じ決まりに従う。全てに否定的な、あなた方の現代科学といわゆる哲学が、人間種族が明確な諸形体と人種で構成されていることに賛成していないならば、それは事実を認めないからである、イギリス人、アフリカの黒人と日本人または中国人との間に外見の違いがなかったとは、誰も言えないだろう。

 

 一方、公的には大部分の自然主義者によって、人間の種族、即ち全く新しい人種の種族が混在していることは、私たちの時代に、すでに形成されて正式に否定されていた。しかし後になって、ド・カトルファージュ氏と他の者たちによって正当な根拠があるとして支持された。

 

 それにもかかわらず、私たちの一般的な提案は受け入れられない。有史以前の長い期間を生きた古代人は(現代人と同様に、確かな変種と定められて)将来にわたって、いかなる変化もないと言われる存在なのだろう。そういった理由で私たちの第六根本人種と第七根本人種はフィクションだと言われるのである。

 

 これに再び答えるとする、しかしどうして分かるのだろうか? あなたの経験は、人類史の膨大な年月のうちの一日にも及ばない僅か2~3千年ぐらいのことを言っているのであり、その根拠の範囲は大陸の現在の人類のタイプと私たちの第五人種の島々に実際に存在する人類に限られている。 何が在るか無いかについて、どうやって、あなたは見分けることができるのだろうか? それでも、このようなものは、秘密の書物の予言や不確かな声明でさえないのである。

 

 ~来るべき人種~

 

 アトランティス人の出現から、数百万年が過ぎた、それでも私たちは1万1千年前の最後のアトランティス人種を見つけることが出来る。だが外見や内面の様々な古い形態というのは新しくなるにつれて、それ自身がもつ特徴が失われていく、そして長い間、古い人種と新しい人種が平行して共存し、徐々に人種同士が無数に混血していって、徐々に若い新しい特徴を身につけた人種にとってかわっていったことを示す。これは、新しく混血人種が形成されるすべての場合において証明される。オカルト哲学は、今、私たちの目前で新しい人種や複数人種が形成される準備をしていて、その変化はアメリカで起こり、すでに密かに始まっていると教えている。

 

 300年前に純粋なアングロサクソン人だった人々は、自国を離れてアメリカ合衆国のアメリカ人となり、いろいろな国籍の者たちが混在するなか異種族間結婚を繰り返したことによって、精神的にも身体的にも、ほぼ独特な人種になった。

 

 「あらゆる混血人種は新たな交流で均一化して安定したときに、主要な人種の役割を果たすことができる」と、ド・カトルファージュ氏は言う。「人類は現状では、まだ新たな人種が決っていない、来るべき人種たちによって、最も偉大な、その一部分をたしかに形成して行く。」(「Human Species」、274ページ。)

 

 このように、アメリカ人はわずか3世紀で「主要な人種」になり、しばらくの間、人種間の競い合をしたのちに、全ての人種からはっきりと分かれる。彼らは要するに数百年の間に出現する第六亜人種の胚種であり、現在のヨーロッパ人または第五亜人種を継承していく人種であり、すべての最もはっきりとした新しい特徴をもつ、先駆的な人種になる。

 

 この後、およそ2万5千年後に、彼らは第七亜人種に向けての準備を始めるだろう、大変動の結果として、ある日ヨーロッパの破壊がおこり、私たちの大陸と島にまで及ぶ範囲に直接つながっていく、おそらく殆どの土地が破壊され、初期の数々の亜人種とさらに後の全部のアーリア民族の人種(このように、両方の米州に影響を及ぼす)が滅びてしまうだろう、その後、第六根本人種が、我々の周期の舞台現れる。それは、いつのことなのだろう?智慧の偉大な大師たちを除いて誰が知っているのだろう、大師たちは、塔のようにそびえたつ、雪で覆われた峰々のように、これについては黙して語らない。

 

 私たちが知っているのは、彼らは静かにやってくるということだ、そして数千年の間に、彼らは先駆的な存在として現れる、彼らは自然の異常な気まぐれかと考えられるような、身体的にも精神的にも風変わりな子供たちとして現れ、やがて風変わりな男性と女性に育っていく。先駆的な存在であった彼らが、年を追うごとに増加していく、ある日、いつのまにか彼らが非常に多数になっていたことに気が付く。

 

 今度は、現代の人々が特別な雑種とみなされるようになり、文化的な土地から逆戻りするように退化し滅びていき、少数の者たちが離島や山岳地帯に残るだけとなって私たちは、第六人種人類の記憶から消え去ってしまうだろう。

 

 第五人種は何十万年もの期間、第六人種と存続期間が重なるだろう、その新しい後継人種たちは、背丈や姿かたち精神性が、いっそうゆっくり変わっていく、それはあたかも第四人種が私たちのアーリア民族の人種と存続期間が重なった、第三人種がアトランティス人に重なったことと同じようである。

 

 第六亜人種の全て、および第七亜人種全て(上を見よ。そして、図が第五人種の系統樹のある《図は省略》)を通して、六つの偉大な人種に対する準備のこの過程は続行しなければならない。

 

 しかし、第五大陸〔つまり、アメリカ大陸〕の最後のなごりは、新しい人種が生まれた後になってもしばらくは消えることは無い、そのあと新しい知らない人を迎えるように、もう一つの新しい住居(第六の大陸)が地球上の新しい海より隆起する。そして幸運にめぐまれた者たちは、地殻変動を逃れて、移住し落ちつく。それがいつのことになるのかは――すでに言ったように――著者にはわからない。

 人間の子供が突然、成熟した大人にならないように、自然も同じ様に、突然にジャンプしたりしない、最後の大変動も、津波と火山の噴火や洪水による破壊が、たびたびおこった後にあるだろう。

 

 今はアメリカの地域で人種のハートに歓喜の躍動が高くあがるが、第六人種が始まる時代には、もはやアメリカ人はいない、実はヨーロッパ人もいないだろう、今度は、第六人種が新人種になり、多くの新しい国家を築いていくだろう。

 

 それでも、第五人種はいきなり滅亡するわけではない。しばらくは、生き延び、数十万年のあいだ、来るべき新人種と共存することになり、そのあいだに、新人種とともに変容していく。ただし、新人種のように速くは無い。そして、精神的、体格、そして、身長のすべてが、すっかり変わってしまう。人類がレムリア人やアトランティス人のように、ふたたび巨人化することはない。なぜなら、第四人種の進化の最中に、その身体の発達は物質性の最下点にまで下降し、現在の人種は物質層から離れて、上昇の弧の上にいるからだ。そして、第六人種は物質的な束縛から速やかに抜け出て、肉体という束縛からも抜け出せるように育っていくだろう。

 

 このように、それは新しい世界—パーターラ(地球上の正反対の側にある土地あるいは地下世界という意味で、インドではアメリカをこう呼ぶ)の人類である、彼らは私たちが現在知っているどれよりも壮大ではるかに素晴らしい、そしてその次の人種のための種をまく任務とカルマをもつ。旧人類は、遥か彼方に忘れ去られているだろう。

 

 物質的な周期の後に、完全に発達したマインドと霊的な周期が続く。平行した歴史と人種の定めにより、大多数の将来の人類は、素晴らしいアデプトたちにより構成される。人類は周期的運命の子である、そして、意識的に自然の働きから逃れられるものではない。

 

 したがって人類は、一つの人種から、その次の人種へと周期的な巡礼を続けることを運命づけられている。気候は、その時は既に変わりはじめているだろう、地球が太陽の周りを一周するごとに一つの亜人種が消えていく、しかし他の高位の人種だけは周期のなかで上昇していく、しかし一部の恵まれない集団は、自然の失敗作といえるし、個々の人々の場合もそうであって、何一つ痕跡を残さず人類一家から消えていくだろう。

 

 これは、カルマの法則の下に絶え間なく、現れる自然の成しえる流れなのである。ここで、ごく少数の秘教家にしか知られていないある聖者の言葉を引用して、しめくくることにする。《現在は過去の子だ。未来は現在が生んだ子だ。だが、おお、現在という瞬間よ! 汝には両親がおらず、子を生むことができず、汝にできることは、ただ自分を生み続けることだけだということを知らないのか?汝は自分自身が過去になったとき、はじめて「私は旅立ちの時間の子にして、過去の子である」ということが出来るのだ。最後まで言い切る前に、見よ!汝は、もはや現在ではなく、未来になっている。過去、現在、未来とはこのようなものだ。それは、永遠に生き続ける三位一体であり、絶対存在の大幻影なのだ》。

 

 

 ーーーーーーーーーーーおわりーーーーーーーーー

 

 ◎原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol.2】 を参照しました。

 

 ◎訳者よりーこのシークレット・ドクトリン第2巻の《結論》は、2012年5月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。

 

 

 

【秘密教義のオカルティズム】 ー 8章「「エノク書」、エノクについて・・・その5 

  <原書・初版1897年発行>

 

ーーオカルティストは、「聖書」を拒まないーー

 

         シークレット・ドクトリンのオカルティズム

            (第3巻) ― 8章

 

                     H.P.ブラヴァツキー 原著

                                                        アニー・ベサント   編著

                <[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>

                                                                             aquamarith (ハテナ名)    訳 

 

◎ オカルティストは、「聖書」を拒まない

 本来の文章と意味での「聖書」を、世界中のオカルティストは拒絶するだろうという印象を持つ人々は間違っている。またその印象を持つ人々は「トートの書」、「カルデアカバラ」、「ジャーンの書」そのものを拒絶する。オカルティストが拒否するのは、聖書のなかの人間的要素と一方的な解釈だけである。聖書はオカルトであり、他の多くの聖典と同じように神聖な書である。

 そして許容された神秘的な啓示の事実を超えて開示する者すべてに対する罰は非常に恐ろしい。プロメテウスからイエスまで、そして彼から最高位アデプトまで、さらに最下位の弟子でさえ、神秘の全てを明かす人は、「キレストス」、“悲しみの人”そして殉教者にならなければならなかった。

 ある最高位の大師は – 不敬な人、サドカイ人、不信心者への神秘の開示には“用心”せよと言った – ブッダ*(26)、ピタゴラスゾロアスター、偉大なグノーシス派のほとんどと、それら各宗派の創立者たち、そして我々により近い時代の「薔薇十字会員」、「火の哲学者たち」やアデプトたちといった、歴史のすべての偉大な祭司は非業の死によって彼らの命を終えている、この方々のすべては、明らさまに寓意の覆いを被せられたのかにかかわらず、行った開示への罰を受けたことが示されている。

  オカルティストにとって、あらゆる“大師”の死は重要であり、深い意味をもっているように見える。我々は歴史の何処で謙虚で偉大な“伝達者”や秘儀参入者または新参者をみるのだろうか、彼らが、今まで秘密にされ隠された真実、あるいは数々の真実の使者とされ、妬み、悪意そして無知の“犬たち”によって磔にされたり、引き裂かれた例はあっただろう、それはなんとも恐ろしいオカルトの法則であり、凶暴な吠え声を軽蔑するライオンのハートと、哀れで無知な愚者を許す鳩の魂を自分自身のなかに感じない人は、「神聖な科学」をあきらめたらよい。成しとげるために、オカルティストは何事をも恐れないことが必要である、危険や不名誉そして死を恐れず、寛容であらねばならない、話せないことには沈黙を守る。

 この方向で徒労した人々は、「エノク書」が教えるように、“悪事が消滅するまで”不道徳を全滅させる迄待たなければならない。オカルティストは復讐を求めたり、渇望することさえ合法にされえることはない: 彼は

 

 罪が過ぎ去るまで待つべきである、なぜならば、彼ら[罪人たち]の名前は神聖な書[アストラル記録]から消され、彼らの種は破壊され、彼らの霊は葬られるであろうから。*(27)  

 

 秘教的にエノクは最初の“人の子たち”であり、象徴的に「第五根本人種」の「第一亜人種」である。*(28)  そしてもし、彼に割り当てられた年齢が数字的あるいは天文学的な象徴として「創世記」のなかで彼の名と一致し、太陽年や365を意味するのであるならば、それは第7番目なのであり、彼らの14の「亜人種」と二つ前の「諸人種」の双方は、彼のオカルト的目的のための擬人化された期間である。

 

 したがって、彼は人類の典型であるノアの偉大な祖父として聖書に記されている、そのノアは「第五」の人類の擬人化であり「第四根本人種」と闘う、ー

不敬な神秘と覆いを外し長い期間に地球に降りてきた“神の子たち”が人の娘を妻にしようと考え、天使たちの秘密を彼らに教えた、言い換えると、「第三人種」すなわち“マインド生まれの”人々は彼ら自身と「第四番目」のそれらを混種させた、そして神聖な「科学」は人々によって徐々に黒魔術へと退化させられたのである。

 

 脚注 ———————————————

*(24) 前掲書、88章 99,100

*(25) 前掲書、 94pこの経過は、この後示されるが、非常に注目すべき発見へと導いた。

*(26) 通俗史上のゴータマ・ブッダは80歳で円満に亡くなり、偉大な聖人として静寂と平和のうちに入滅したと、バルテルミ・サンティレール(フランスの哲学者)は伝える。しかし秘教的にはそうではない、不敬な印象の比喩的な解釈に対する本当の意味を明らかにする、ゴータマ、すなわちブッダはツオンダが用意した多量の豚肉を食べ過ぎたことより、非常に詩的とはいえない死をむかえたことになっている。動物を殺すことは最大の罪だと説教をして、自身が完璧な菜食主義者であったブッダが、豚肉を食べて死んだとは、我々の東洋学者でも聞いた事の無いような出来事であるが、このうちの幾人かが、この疑わしい出来事をとても面白く作った[現在のセイロンの慈悲深い宣教師の多くがそうしている]。事実は単純であって、先に示したように米と豚肉が純粋に比喩的なものだということある。米は “イブの「リンゴ」”すなわち “禁断の果実”を表して、中国人とチベット人にとってのオカルト知識を意味する、そして、バラモン教の教えでは、“豚”はヴィシヌが空間の表面に地球を浮き上がらせるための、彼の第一の分身である雄豚を装った姿であるとされている。

  したがって、ブッダの死は“豚”によるものではなく、バラモン教の神秘のいくつかを明かしたためにある、彼は開示が一部の道徳的に価値のない人々に悪影響をもたらすのを見て、自らが地上的な姿を離れニルヴァーナに入る代わりに、人類の進歩を援助するために、そのまま聖職の領域に留まることを選んだといわれている。それゆえ他の恩恵のなかでは、ダライ・ラマパンチェン・ラマの位へと彼は輪廻転生を続けている。こういったことが秘教の説明である。ゴータマの生涯については、後ほど詳細に論じる。

*(27) 前掲書、p105.21

*(28) 聖書[創世記、4章と5章]には、三人の異なるエノクたち[カノクまたはチャノク]、カインの息子、セツの息子とヤレド息子が記されている、しかし、彼ら全員は同一人物であり、彼らのうち二人は誤解を生じさせる目的で記されている。最後の二人だけ年齢が示されるが、最初の子については、これ以上の説明はされていない。

 

*——第8章 終わり——*

 

 ☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。

 

 ☆このシークレット・ドクトリン第3巻の第8章(その1〜その5)は、2017年1月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。

 

 

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【秘密教義のオカルティズム】 ー 8章「エノク書」、エノクについて・・・その4 

 <原書・初版1897年発行>

 

  ーー象徴的「エノク書」ーー

  

         シークレット・ドクトリンのオカルティズム

            (第3巻) ― 8章

 

                     H.P.ブラヴァツキー 原著

                                                        アニー・ベサント   編著

                <[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>

                  <(各単語) はaquamarithによる追補>

 ◎象徴的「エノク書

 我々が、エノク或いは彼の不滅の名声を残す人が“罪人の程度”による処刑を、異なる幾つかの週に執行したことに言及して、この第4回目( 第四人種 )の間に “あらゆる不信心な行為は、全地球から消えさるだろう”と言っていることから、それが「聖書」の一回だけの「大洪水」にあてはまることはありえないし、まして「捕囚」もおそらくそうであろう。*(21)

 

 したがって、「エノク書」はマンヴァンタラの五つの「人種」の範囲を網羅している、最後の二つの人種に関しては若干の示唆を仄めかしている、それは“聖書の予言”ではなく単に東洋の「秘密の書」から取り出した事実を含むことになる。 編者は、さらに、つぎのように告白する。

 先行する6つの詩句、すなわち第13、15、16、17、18番の詩句は、写本の中にあった第19章の14番目と15番目の詩句の間の部分から取られたものである。*(22)

 

 この恣意的な転写によって、彼はより多く混乱を起こし、さらに混乱をもたらした。それでも彼は「福音書」と、「旧約聖書」の教義でさえ「エノク書」からそのまま取っている、なぜならそれは天に太陽があるのと同じように明白だからであり、彼の言っていることは極めて正しいのである。

 「モーセ五書」全体は与えられた事実に調和的に適応されていた、だがこれらが原因で、キリスト教徒は「エノク書」を、彼らの正典として正当に認めることを後になって拒否していた、同じくヘブライ人たちも「この書」を、彼らの正典としての地位を与えることを拒否した。

 

 しかし、使徒ユダと多くのキリスト教神父たちが、この書を啓示や神聖な書としている想定外の事実は、初期のキリスト教徒がそれを受け入れたという立派な証拠である – 例えば最高の学識者アレキサンドリアのクレメンスなどである – キリスト教とその教義は現代の後継者たちとは全く異なる観点によって理解されており、「キリスト(救世主))」はオカルティストだけが正しく認識できるとしている。

  初期「ナザレ派」や、ジャスティン殉教者(聖ユスティヌス)の呼び方に従えば、「キリスチャンたち」とは「イエス」の支持者や秘儀参入した本当のキレストスとキリストスのことであった。特に西側の現代キリスト教徒は、ローマ教皇派、ギリシャ正教徒、カルヴァン主義者またはルーテル教徒であっても、キリスト教徒、イエス、すなわち「キリスト  (救世主)」の信奉者とは到底呼ぶことはできない。

 

 このように「エノク書」は、完全に象徴的である。それは人類の「諸人種」および彼らと「神々の系譜」との初期の関係史にかかわるものであり、そしてその象徴は天文学上および宇宙の神秘と混交されていた。

 ただし、ノアの時代の記録の中の一章(パリとボドリアン図書館の両方の写本)すなわち、10項目(セクション)のうちの58章が行方不明である、従ってこの章が改作されることはあり得ないし、それは消失したのに違いない、毀損された断片が後にのこされたのである。

 

 雌牛たちの夢は、黒、赤、そして白い子牛たちの、最初の諸人種との関係と、彼らの区別と滅亡に関するものである。第88章では四天使のうちの一名が“白牛たちのところへ行って、彼らに神秘を教えた”、そしてその後、生じたその神秘が “人になった”それは   (a) 原初アーリア人から進化した最初の集団   (b) いわゆる“「両性具有者」の神秘”に言及したのであり、現在あるような、最初の人間種族の誕生に関係している。家長制度の国インドで、通過や、雌牛のなかを通り抜けての再生として知られている儀式、いわばブラフマンになることを望んでいる低いカーストの人々が受けなければいけない儀式は、この神秘から始まった。「エノク書」の上に挙げた章を注意深く慎重に読ませれば、いかなるオカルティストであっても、キリスト教徒やヨーロッパの神秘家がそこで(その章で)「キリスト  (救世主))」をみるように、それが“羊の主”であるとみなす、サンスクリット語での“羊の主”の名はあえて明かさないが、「司祭で犠牲者」であることがわかる。

 

 また、西洋のキリスト教徒は“羊や狼たち”をエジプト人とイスラエル人だと連想する、これらの動物たちはインドやエジプトで新受洗礼者に課せられる試練や秘儀参入時の神秘に実際に関係する、そして最も恐ろしい刑罰は、“狼たち” といわれており、それは人々が招く「選別」と“完璧”な知識の為の秘儀を誰に対しても見境なく明らかにしてしまうことと関係がある。

 

 後の改竄つまり*(23)、キリスト教徒がそれぞれの章のなかで、モーゼとイエスと大洪水に関する三つの預言を作り上げたこと、それは間違いである、なぜなら実際はそれが直接アトランティスの滅亡と容赦無い罰則に関係していたからである、“羊の主”とは、カルマのことであり、地球上の最高の秘儀者は“司祭長”であった。

 

 そして羊の統率者が、貪る猛獣の餌食にされてしまわないように救ってほしいと嘆願するエノクに対して彼は言う:

 

 私は自らの面前で詳細な説明をしよう... どれ程多くを彼らは破壊へと引き渡したのか...私が命じたように彼らが行動するかはわからない、いったい彼らは何をするのであろうか。

 

 だがこれについて彼らは無知であろう、汝は彼らにいかなる説明をもしてはならぬ、汝が彼らを叱責してはならぬ、だが季節ごとに、彼らが行った全ての破壊の説明が必要だ。*(24)

 ... 彼は沈黙したまま眺めた、彼らが貪り食われ、呑み込まれ、運び去られるのを見て歓喜し、彼らが食料としてあらゆる獣の支配下に置かれていく様子を…*(25)

 

脚注———————————————

*(21) 前掲書、p42, 7, 11, 13, 15.

*(22) 前掲書, p.152注

*(23) それらの改竄や変更は、キリスト教徒によるもので、これらはすべての使徒の数と種族と長老たちの数に関するものであり、特に番号11と12の数字が入っている場合が殆どである。「エチオピア語」文書の翻訳者である大司教ローレンスは、パリとボドリアン写本の両方の文書内容が異なるときは、一般の常識としてそれらを“翻訳者の間違い”であるとした、しかしそれは違う。我々が心配するのは、殆どの場合それが間違いないからである。

*(24) 前掲書、88章 99,100

*(25) 前掲書、p94pこの経過は、この後示されるが、非常に注目すべき発見へと導いた。

 

つづく。

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 ☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。

 

 ☆キリストをWikipediaから引用・・・キリストは、ヘブライ語のメシアのギリシア語訳 Χριστος (Khristos クリストス、フリストス)からの、日本語における片仮名表記。基督、クリスト、クライスト、ハリストスとも表記される。

・・・だそうです、今回の翻訳は日本語として定着している「キリスト教」や「イエス・キリスト」という表記に合わせて「クレストス」や「クリストス」ではなく「キレストス」や「キリストス」と翻訳しました。

 

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【秘密教義のオカルティズム】 ー 8章「エノク書」、エノクについて・・・その3 

  <原書・初版1897年発行>

 

ーーエノクは諸人種、を記しているーー

     

      シークレット・ドクトリンのオカルティズム

 

            (第3巻) ― 8章

                  

                    H.P.ブラヴァツキー 原著

                                                       アニー・ベサント   編著

                                                     <[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>

       

 

◎ エノクは諸人種を記している

 「エノク書」の預言は実に預言的であるのだが、意図的に七つの「人種」のうちから五人種だけの記録を残していて、最後の二人種に関する全ては秘密にされている。 そして英訳の編集者による意見は次のとおりである。

  第92章は、エノク自身の時代から現世代を超える後の約1000年にも及ぶ一連の預言を記録している*(14)  

 

 だが、それは間違いである。後の“数千年”だけではなく、預言は我々の現人種の終わりまでの範囲に及んでいる。

 本当に真実なのは、

 採用されたキリスト教年代記の体系においては、1日が[時折]100年を、そして1週が700年を意味する。*(15)

 

 しかし(英訳された)これは、聖書の年代記を事実化あるいは理論付けする為、キリスト教徒によって採用された恣意的な気まぐれな体系であり、本来の独創的な思想を意味していない。“日”は「傍系諸人種」の劣化した時代を、“週”は「諸亜人種」を表していて、「根本諸人種」について英訳では発見されることさえない表現によって言及される。 さらに150頁の最後のところにある文章には次のように記されている:

 

 その後、4週目になると….. 神聖な者と高潔な者の幻は見られるようになり、世代からその後の世代へと交代は起こるだろう、*(16) だが、それは完全に間違っている。それは原典ではこうなっている:“世代その後世代へとの交代は、地球で起こっていた”、などなど、これは最初の人類が子孫を生み出した後に、正に人間的な方法で「第三根本諸人種」の期間に出現したのである、これはその意味を完全に変える変更である。

 

 それならば、エチオピア語文書の翻訳の既知の事実も、転写する過程で非常に不法に改変されていたに違いない、我々が知りえたことは、元来の「カルデア写本」で、将来起こるはずになっていた事についての記述が、すでに起こった事としての過去時制を用いた記述がみられた、確かにそれは預言ではなかった。

 “書から話す”とエノクが話し始めた時、彼は偉大な「先見者」から与えられた話を読みあげていた、預言は彼独自のものでなく「先見者」からのものであった。*(17)「エノク」または「エノキオン」は、“内部の目”または「先見者」を意味する。このように、あらゆる預言者とアデプトは、偽エノクになることなく、「エノキオン」と呼ばれる可能性はある。しかし、ここで、現在の「エノク書」を編集した「先見者」は、ある書から読み聞かせてながら、

次のように明確に示す:

 

 私は最初の週の七番目[肉体的生殖が始まった第三の「根本人種」の第一の「亜人種」の、「第七の分枝」いわば「傍系人種」]に生まれた。 しかし、私の後の、第二週[第二の「亜人種」]のときに、驚くべき非道な行為が起こる[むしろ、起こった]、そして、その週で最初の週は終わるだろう。そこでは人類は無事であろう。しかし、最初の週が完了したときは重大な不正が進行するであろう。*(18)

 

 そのように翻訳されても、それは意味をもたない。「秘教の文書」の立場では、「第三根本人種」の第二の「亜人種」のあいだに「第一根本人種」の終わりがくるだろう、その間人類は安泰であるということを単に意味するだけである、これらすべては聖書の「大洪水」について一切言及していない。詩句の10番目は、第六の週[「第三根本人種」の第六「亜人種」]のことを語っている、その際にそこにいる者すべては暗くなり、彼ら全員のハートは知恵を忘れ去り[神聖な知識は滅び去る]、そして、そのなかで、ある人間が上昇するだろう。

 解説者たち自身の何らかの謎につつまれた理由により、この“人間”は、ネブカドネザルを意味するとされた、実際彼は純粋な人間の「人種」(寓意的な表現では、生殖への降下以後の人種)に属していて、死にかけているデーヴァ(天使またはエロヒム)の智慧を永続的させる為に選ばれた、最初の「秘儀の司祭」なのである。

 

 彼は最初の“人の子たち”であり、「第三根本人種」のまさに最終末における「マーヌシ」(人々)は最初の人類学校の神聖な秘儀参入者たちに与えられた神秘の呼び名である、彼はまた“救世主”とも呼ばれた、なぜなら彼は他のすべての秘儀司祭たちと共に「選ばれたもの」と「完全なもの」を地質学上の大災害から救ったからである、そして最終末の地殻の激変が近づくなか性的な官能性によって原初の知恵を忘れた者たちを滅び去るにまかせた。*(19)

 

 そして、そのことが完了する間[“6週目”、または第六「亜人種」の間]、彼は支配地[地球の、あるいは当時の居住していた大陸の半分]の住居を燃やす、そして選ばれた、すべての根本の人種は分散させられるであろう。*(20)

 

 前述のことは、選ばれた秘儀参入者にはあてはまる、しかし選民だと仮定されたユダヤ人、バビロン捕囚にはまったく該当しないとするのがキリスト教神学者たちの解釈である。

脚注———————————————

*(14) 前掲書、p23

*(15) 上記引用文中に

*(16) 92.9

*(17) 前掲書、p92.4.

*(18) 前掲書、p92,4-7

*(19) すべての「根本人種」の終わりには、火による災いや地殻の激変や洪水がおこる、神聖な「大師の教え」のすぐ後に “生殖に堕ちた”第三根本人種の無価値なものたちが堕落した官能性に陥り滅亡した。その後、生じた第四根本人種は最後の大洪水の終わりまでその地にとどまった。(イシス・アンヴェールドの“神の子たち”593以下参照)

*(20) 前掲書、p92,20.

 

つづく。

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 ☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。

   

 

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