【秘密教義】 第2巻―《結論》より
<<1888年に出版された H.P.ブラヴァツキー の著作>>
ーーー科学の逆説。ーーー来るべき人種。ーーー
シークレット・ドクトリン【秘密教義】
第2巻―《結論》より
H.P.ブラヴァツキー 著
aquamarith (ハテナ名) 訳
~ 科学の逆説(から抜粋)~
Page 442
偉大な真実は、通常1世紀か2世紀ほど経過しないと、決して受け入れられることはない、発見されたものが明確な事実であると認められた場合を除き、それは(事実の)可能性として人間の意識のなかで微かに光り始めた程度のことである。
今日の真実は昨日の虚と間違いであり、そして逆もまた同じことである。ひとつ言えるのは現在執筆している全てではないが、その殆どが正しかったと証明されるのは20世紀になってからである。
一般的に、人類や自然、出来事といったすべての進化は複数の周期のなかにあるということは、十分に言われていた。
私たちは七つの人種を語る、五つの人種は地球での経験をほぼ完了しており、その根本人種とその亜人種や多くの種族は、前後の人種とはまったく異なっていたと述べた。
人類学と民族学の問題点は、決りきった経験を根拠として反対することにある。“人”というのは、おそらく顔の特色と頭蓋能力の違いであり、世界の気候や地域の多様な違いがあったとしても、すべて人種と類型の違いだというのである。まったくもって、背丈においてさえ博物学者はこういうのである。これは“人”が猿と同じ無名の先祖を起源とするといっていることであり、彼らのいう最初の進化は二足動物から始まる、すなわち背丈と姿の無限の組み合わせなど全くないという論理的に不可能な主張である。
両方の提案を持つ極めて論理的な人々は、彼ら自身を逆説的な状況に追い込んでしまうだろう。 もう一度、私たちはそれについてだけ述べる。神話の一般的な起源「つまり自然界の目に見える現象を考察するとわかること」が誰の事を叙述してあるのか疑ってみるが・・・考えてみると、それはこうである、「全ての神々の素晴らしい物語や、半神(巨人と小人)たち、龍たちと怪物たちは、その存在が変容によるものというよりも、考案されたことによって出来上がった存在である。」という信じがたい意見なのである。
シークレット・ドクトリンが教えるのは、現在の人類の記憶と概念に見合う、身体的な特性における「変容」だけである。
それは、現代科学の全く思惑的な仮説に直面する、かろうじて神殿等の破壊されていない伝説や記録をよりどころとしていて、僅か2~3世紀の経験と正確な観察に基づいた仮説とを照らし合わせてみたとしても、彼らヨーロッパ人の「歴史」と言う暗闇は、2~3千年程度遡った期間しかカバーしていない、そのクモの巣がかかって凝り固まった理論を払いのける必要性を古代の科学は私たちに語っている、今すぐに聞くべきは、私が説明する人類の記録である。
人間の種族は、他からのひとつの存在として生まれて、成長し、発達し、歳をとり、死にいたる。国々とその亜人種は同じ決まりに従う。全てに否定的な、あなた方の現代科学といわゆる哲学が、人間種族が明確な諸形体と人種で構成されていることに賛成していないならば、それは事実を認めないからである、イギリス人、アフリカの黒人と日本人または中国人との間に外見の違いがなかったとは、誰も言えないだろう。
一方、公的には大部分の自然主義者によって、人間の種族、即ち全く新しい人種の種族が混在していることは、私たちの時代に、すでに形成されて正式に否定されていた。しかし後になって、ド・カトルファージュ氏と他の者たちによって正当な根拠があるとして支持された。
それにもかかわらず、私たちの一般的な提案は受け入れられない。有史以前の長い期間を生きた古代人は(現代人と同様に、確かな変種と定められて)将来にわたって、いかなる変化もないと言われる存在なのだろう。そういった理由で私たちの第六根本人種と第七根本人種はフィクションだと言われるのである。
これに再び答えるとする、しかしどうして分かるのだろうか? あなたの経験は、人類史の膨大な年月のうちの一日にも及ばない僅か2~3千年ぐらいのことを言っているのであり、その根拠の範囲は大陸の現在の人類のタイプと私たちの第五人種の島々に実際に存在する人類に限られている。 何が在るか無いかについて、どうやって、あなたは見分けることができるのだろうか? それでも、このようなものは、秘密の書物の予言や不確かな声明でさえないのである。
~来るべき人種~
アトランティス人の出現から、数百万年が過ぎた、それでも私たちは1万1千年前の最後のアトランティス人種を見つけることが出来る。だが外見や内面の様々な古い形態というのは新しくなるにつれて、それ自身がもつ特徴が失われていく、そして長い間、古い人種と新しい人種が平行して共存し、徐々に人種同士が無数に混血していって、徐々に若い新しい特徴を身につけた人種にとってかわっていったことを示す。これは、新しく混血人種が形成されるすべての場合において証明される。オカルト哲学は、今、私たちの目前で新しい人種や複数人種が形成される準備をしていて、その変化はアメリカで起こり、すでに密かに始まっていると教えている。
300年前に純粋なアングロサクソン人だった人々は、自国を離れてアメリカ合衆国のアメリカ人となり、いろいろな国籍の者たちが混在するなか異種族間結婚を繰り返したことによって、精神的にも身体的にも、ほぼ独特な人種になった。
「あらゆる混血人種は新たな交流で均一化して安定したときに、主要な人種の役割を果たすことができる」と、ド・カトルファージュ氏は言う。「人類は現状では、まだ新たな人種が決っていない、来るべき人種たちによって、最も偉大な、その一部分をたしかに形成して行く。」(「Human Species」、274ページ。)
このように、アメリカ人はわずか3世紀で「主要な人種」になり、しばらくの間、人種間の競い合をしたのちに、全ての人種からはっきりと分かれる。彼らは要するに数百年の間に出現する第六亜人種の胚種であり、現在のヨーロッパ人または第五亜人種を継承していく人種であり、すべての最もはっきりとした新しい特徴をもつ、先駆的な人種になる。
この後、およそ2万5千年後に、彼らは第七亜人種に向けての準備を始めるだろう、大変動の結果として、ある日ヨーロッパの破壊がおこり、私たちの大陸と島にまで及ぶ範囲に直接つながっていく、おそらく殆どの土地が破壊され、初期の数々の亜人種とさらに後の全部のアーリア民族の人種(このように、両方の米州に影響を及ぼす)が滅びてしまうだろう、その後、第六根本人種が、我々の周期の舞台現れる。それは、いつのことなのだろう?智慧の偉大な大師たちを除いて誰が知っているのだろう、大師たちは、塔のようにそびえたつ、雪で覆われた峰々のように、これについては黙して語らない。
私たちが知っているのは、彼らは静かにやってくるということだ、そして数千年の間に、彼らは先駆的な存在として現れる、彼らは自然の異常な気まぐれかと考えられるような、身体的にも精神的にも風変わりな子供たちとして現れ、やがて風変わりな男性と女性に育っていく。先駆的な存在であった彼らが、年を追うごとに増加していく、ある日、いつのまにか彼らが非常に多数になっていたことに気が付く。
今度は、現代の人々が特別な雑種とみなされるようになり、文化的な土地から逆戻りするように退化し滅びていき、少数の者たちが離島や山岳地帯に残るだけとなって私たちは、第六人種人類の記憶から消え去ってしまうだろう。
第五人種は何十万年もの期間、第六人種と存続期間が重なるだろう、その新しい後継人種たちは、背丈や姿かたち精神性が、いっそうゆっくり変わっていく、それはあたかも第四人種が私たちのアーリア民族の人種と存続期間が重なった、第三人種がアトランティス人に重なったことと同じようである。
第六亜人種の全て、および第七亜人種全て(上を見よ。そして、図が第五人種の系統樹のある《図は省略》)を通して、六つの偉大な人種に対する準備のこの過程は続行しなければならない。
しかし、第五大陸〔つまり、アメリカ大陸〕の最後のなごりは、新しい人種が生まれた後になってもしばらくは消えることは無い、そのあと新しい知らない人を迎えるように、もう一つの新しい住居(第六の大陸)が地球上の新しい海より隆起する。そして幸運にめぐまれた者たちは、地殻変動を逃れて、移住し落ちつく。それがいつのことになるのかは――すでに言ったように――著者にはわからない。
人間の子供が突然、成熟した大人にならないように、自然も同じ様に、突然にジャンプしたりしない、最後の大変動も、津波と火山の噴火や洪水による破壊が、たびたびおこった後にあるだろう。
今はアメリカの地域で人種のハートに歓喜の躍動が高くあがるが、第六人種が始まる時代には、もはやアメリカ人はいない、実はヨーロッパ人もいないだろう、今度は、第六人種が新人種になり、多くの新しい国家を築いていくだろう。
それでも、第五人種はいきなり滅亡するわけではない。しばらくは、生き延び、数十万年のあいだ、来るべき新人種と共存することになり、そのあいだに、新人種とともに変容していく。ただし、新人種のように速くは無い。そして、精神的、体格、そして、身長のすべてが、すっかり変わってしまう。人類がレムリア人やアトランティス人のように、ふたたび巨人化することはない。なぜなら、第四人種の進化の最中に、その身体の発達は物質性の最下点にまで下降し、現在の人種は物質層から離れて、上昇の弧の上にいるからだ。そして、第六人種は物質的な束縛から速やかに抜け出て、肉体という束縛からも抜け出せるように育っていくだろう。
このように、それは新しい世界—パーターラ(地球上の正反対の側にある土地あるいは地下世界という意味で、インドではアメリカをこう呼ぶ)の人類である、彼らは私たちが現在知っているどれよりも壮大ではるかに素晴らしい、そしてその次の人種のための種をまく任務とカルマをもつ。旧人類は、遥か彼方に忘れ去られているだろう。
物質的な周期の後に、完全に発達したマインドと霊的な周期が続く。平行した歴史と人種の定めにより、大多数の将来の人類は、素晴らしいアデプトたちにより構成される。人類は周期的運命の子である、そして、意識的に自然の働きから逃れられるものではない。
したがって人類は、一つの人種から、その次の人種へと周期的な巡礼を続けることを運命づけられている。気候は、その時は既に変わりはじめているだろう、地球が太陽の周りを一周するごとに一つの亜人種が消えていく、しかし他の高位の人種だけは周期のなかで上昇していく、しかし一部の恵まれない集団は、自然の失敗作といえるし、個々の人々の場合もそうであって、何一つ痕跡を残さず人類一家から消えていくだろう。
これは、カルマの法則の下に絶え間なく、現れる自然の成しえる流れなのである。ここで、ごく少数の秘教家にしか知られていないある聖者の言葉を引用して、しめくくることにする。《現在は過去の子だ。未来は現在が生んだ子だ。だが、おお、現在という瞬間よ! 汝には両親がおらず、子を生むことができず、汝にできることは、ただ自分を生み続けることだけだということを知らないのか?汝は自分自身が過去になったとき、はじめて「私は旅立ちの時間の子にして、過去の子である」ということが出来るのだ。最後まで言い切る前に、見よ!汝は、もはや現在ではなく、未来になっている。過去、現在、未来とはこのようなものだ。それは、永遠に生き続ける三位一体であり、絶対存在の大幻影なのだ》。
ーーーーーーーーーーーおわりーーーーーーーーー
◎原書として、Theosophical University Press版 【 The Secret Doctrine Vol.2】 を参照しました。
◎訳者よりーこのシークレット・ドクトリン第2巻の《結論》は、2012年5月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。