H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

【秘密教義のオカルティズム】 ー 8章「「エノク書」、エノクについて・・・その5 

  <原書・初版1897年発行>

 

ーーオカルティストは、「聖書」を拒まないーー

 

         シークレット・ドクトリンのオカルティズム

            (第3巻) ― 8章

 

                     H.P.ブラヴァツキー 原著

                                                        アニー・ベサント   編著

                <[角括弧]はアニー・ベサントによる追補>

                                                                             aquamarith (ハテナ名)    訳 

 

◎ オカルティストは、「聖書」を拒まない

 本来の文章と意味での「聖書」を、世界中のオカルティストは拒絶するだろうという印象を持つ人々は間違っている。またその印象を持つ人々は「トートの書」、「カルデアカバラ」、「ジャーンの書」そのものを拒絶する。オカルティストが拒否するのは、聖書のなかの人間的要素と一方的な解釈だけである。聖書はオカルトであり、他の多くの聖典と同じように神聖な書である。

 そして許容された神秘的な啓示の事実を超えて開示する者すべてに対する罰は非常に恐ろしい。プロメテウスからイエスまで、そして彼から最高位アデプトまで、さらに最下位の弟子でさえ、神秘の全てを明かす人は、「キレストス」、“悲しみの人”そして殉教者にならなければならなかった。

 ある最高位の大師は – 不敬な人、サドカイ人、不信心者への神秘の開示には“用心”せよと言った – ブッダ*(26)、ピタゴラスゾロアスター、偉大なグノーシス派のほとんどと、それら各宗派の創立者たち、そして我々により近い時代の「薔薇十字会員」、「火の哲学者たち」やアデプトたちといった、歴史のすべての偉大な祭司は非業の死によって彼らの命を終えている、この方々のすべては、明らさまに寓意の覆いを被せられたのかにかかわらず、行った開示への罰を受けたことが示されている。

  オカルティストにとって、あらゆる“大師”の死は重要であり、深い意味をもっているように見える。我々は歴史の何処で謙虚で偉大な“伝達者”や秘儀参入者または新参者をみるのだろうか、彼らが、今まで秘密にされ隠された真実、あるいは数々の真実の使者とされ、妬み、悪意そして無知の“犬たち”によって磔にされたり、引き裂かれた例はあっただろう、それはなんとも恐ろしいオカルトの法則であり、凶暴な吠え声を軽蔑するライオンのハートと、哀れで無知な愚者を許す鳩の魂を自分自身のなかに感じない人は、「神聖な科学」をあきらめたらよい。成しとげるために、オカルティストは何事をも恐れないことが必要である、危険や不名誉そして死を恐れず、寛容であらねばならない、話せないことには沈黙を守る。

 この方向で徒労した人々は、「エノク書」が教えるように、“悪事が消滅するまで”不道徳を全滅させる迄待たなければならない。オカルティストは復讐を求めたり、渇望することさえ合法にされえることはない: 彼は

 

 罪が過ぎ去るまで待つべきである、なぜならば、彼ら[罪人たち]の名前は神聖な書[アストラル記録]から消され、彼らの種は破壊され、彼らの霊は葬られるであろうから。*(27)  

 

 秘教的にエノクは最初の“人の子たち”であり、象徴的に「第五根本人種」の「第一亜人種」である。*(28)  そしてもし、彼に割り当てられた年齢が数字的あるいは天文学的な象徴として「創世記」のなかで彼の名と一致し、太陽年や365を意味するのであるならば、それは第7番目なのであり、彼らの14の「亜人種」と二つ前の「諸人種」の双方は、彼のオカルト的目的のための擬人化された期間である。

 

 したがって、彼は人類の典型であるノアの偉大な祖父として聖書に記されている、そのノアは「第五」の人類の擬人化であり「第四根本人種」と闘う、ー

不敬な神秘と覆いを外し長い期間に地球に降りてきた“神の子たち”が人の娘を妻にしようと考え、天使たちの秘密を彼らに教えた、言い換えると、「第三人種」すなわち“マインド生まれの”人々は彼ら自身と「第四番目」のそれらを混種させた、そして神聖な「科学」は人々によって徐々に黒魔術へと退化させられたのである。

 

 脚注 ———————————————

*(24) 前掲書、88章 99,100

*(25) 前掲書、 94pこの経過は、この後示されるが、非常に注目すべき発見へと導いた。

*(26) 通俗史上のゴータマ・ブッダは80歳で円満に亡くなり、偉大な聖人として静寂と平和のうちに入滅したと、バルテルミ・サンティレール(フランスの哲学者)は伝える。しかし秘教的にはそうではない、不敬な印象の比喩的な解釈に対する本当の意味を明らかにする、ゴータマ、すなわちブッダはツオンダが用意した多量の豚肉を食べ過ぎたことより、非常に詩的とはいえない死をむかえたことになっている。動物を殺すことは最大の罪だと説教をして、自身が完璧な菜食主義者であったブッダが、豚肉を食べて死んだとは、我々の東洋学者でも聞いた事の無いような出来事であるが、このうちの幾人かが、この疑わしい出来事をとても面白く作った[現在のセイロンの慈悲深い宣教師の多くがそうしている]。事実は単純であって、先に示したように米と豚肉が純粋に比喩的なものだということある。米は “イブの「リンゴ」”すなわち “禁断の果実”を表して、中国人とチベット人にとってのオカルト知識を意味する、そして、バラモン教の教えでは、“豚”はヴィシヌが空間の表面に地球を浮き上がらせるための、彼の第一の分身である雄豚を装った姿であるとされている。

  したがって、ブッダの死は“豚”によるものではなく、バラモン教の神秘のいくつかを明かしたためにある、彼は開示が一部の道徳的に価値のない人々に悪影響をもたらすのを見て、自らが地上的な姿を離れニルヴァーナに入る代わりに、人類の進歩を援助するために、そのまま聖職の領域に留まることを選んだといわれている。それゆえ他の恩恵のなかでは、ダライ・ラマパンチェン・ラマの位へと彼は輪廻転生を続けている。こういったことが秘教の説明である。ゴータマの生涯については、後ほど詳細に論じる。

*(27) 前掲書、p105.21

*(28) 聖書[創世記、4章と5章]には、三人の異なるエノクたち[カノクまたはチャノク]、カインの息子、セツの息子とヤレド息子が記されている、しかし、彼ら全員は同一人物であり、彼らのうち二人は誤解を生じさせる目的で記されている。最後の二人だけ年齢が示されるが、最初の子については、これ以上の説明はされていない。

 

*——第8章 終わり——*

 

 ☆原書として、Kessinger Pub Co【Occultism Of The Secret Doctrine】 を参照しました。

 

 ☆このシークレット・ドクトリン第3巻の第8章(その1〜その5)は、2017年1月に書いたSNS(mixi)日記を編集・修正してこちらにまとめたものです。

 

 

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