H.P.B.著作の和訳を試みる & 関連の話題 blog

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (1831年 – 1891年) は、近代神智学を創唱しました。・・・主に彼女の代表作である「シークレット・ドクトリン」の和訳を試みています。

【秘密教義】 第2巻《予備的ノート》-2 

《予備的ノート》-1からの続き

 

1.“不滅の聖なる大陸”

 この名称は次のような理由で説明される、“聖なる大陸”(後になり追加される)他の大陸と運命を決して共にしない、なぜならば、それぞれの周期つまりマンヴァンタラの初めから終わりに渡って続く運命であり唯一のものだからだ。この大陸は、最初の人間の揺りかごであり、人間の未来の種のためにと選ばれたシシュタ(Sishta)である最後の神人の住居である。この神秘的で神聖な大陸についての、記録のうちのひとつの詩的な表現はおそらく次のようである、“北極星は、大いなる息の『1日』の夜明けから日没まで、それに監視の目を持ち続ける。”というような非常に僅かなものでしかない。  

 

2.ヒュペルボレア大陸

 ヒュペルボレア大陸は、第二番目の大陸のために選ばれた名称である、第二根本人種を受け入れるための大陸で、北極から南と西に岬状に伸びていて、現在アジア北部として知られている。そのような名称は、毎年訪れる“ヒュペルボレア”へのアポロの旅行という神秘的な領域(土地)に古代ギリシア人がつけた名称であった。 天文学的に、アポロはもちろん太陽であり、アポロはギリシアの聖なる地域をあきらめて、遥か彼方の愛する彼の国を訪れる、その地は、太陽が一年の半分の間決して沈まないといわれていた場所であるオデッセイアの詩句は、このように述べている (x. 86)。

 

 しかし歴史的には、またはたぶん民族学的にも地質学的にも意味は違う。 ヒュペルボレア大陸は、リファエウス山の山麓で深くまどろむことを愛する雪と吹雪の神ボレアスを越えて広がる大地ではないし、神話学者が推測するような理想郷でもなく、スキティアとダニューブに隣接する大地でもない。

 

 ヒュペルボレアは、まぎれもなく大陸である、初期の頃には冬を知らない国であった。申し訳ないがおそらく、一年のうちの殆どが昼間で複数の夜なのである、今もなお。

ギリシア人たちは、そこはアポロが愛した住みかであり、アポロが愛した司祭たちと信徒たちの住む場所なので、夜の影が落ちる事が無かったとのべている。 これは、詩的に表現された作り話のようだが、詩的に表現された真実であろう。

 

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 *註【『オデッセイア』】古代ギリシアの詩人ホメロス(前800年頃)の作品。

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3.レムリア大陸 

わたしたちは、三番目の大陸を、“レムリアLemuria.”。と呼ぶことを提案する。この名称は、P.L. スクレターが1850年から1860年の間に発案したもので、動物学的な根拠に基づいて、有史以前にマダガスカル島からセイロン島とスマトラ島にいたるまでの広い地域に実際に存在していたことが示された大陸である。 現在アフリカと呼ばれている地域の一部も含んでいる。インド洋からオーストラリアにかけて広がっていたこの巨大な大陸は、太平洋の海の底に消え、いまは、かっての高地が島となって、あちこちに残っているにすぎない。

 

 自然主義者A. R.ウォレスは、“第三期のオーストラリアからニューギニアソロモン諸島、そして、おそらくはフィジーにまで広がっている”、そして彼は有袋類型から“第二期の間のレムリアと、大陸北部とのつながり” を推定した。とC.グールドが『 神話的な巨人』(p47)の中で書いている。これについては、他所にて詳細に扱う。

 

 

4.アトランティス

 “アトランティス大陸”とは、第四大陸のことである。これは歴史に登場する最初の大陸であり、古代人の諸々の伝説は、現代人以上にこの大陸に対して高い関心を示している。 その名前のプラトンの有名な島は、ほんのこの大きい大陸の破片でした。(「エソテリック仏教。」参照)。

 

 

5.アメリカ大陸

 第五番目の大陸はアメリカである。しかし、この大陸は、ヨーロッパと小アジアの対蹠地(正反対の地)に位置していて、インド・アーリアの秘教により第五大陸と言及されている大陸とほとんど同時代のものである。 もし大陸が出現する順序が、それらの地質学および地理学で言われている教えに従うものであったら、この分類は改める必要があるだろう。

 

しかし、第一大陸から第五大陸へと連続して出現した大陸は、種の進化による順序にしたがうので、私達アーリア人種が住むヨーロッパこそ第五大陸と呼ばれなければなりません。シークレット・ドクトリンは島や半島を全く説明しない、それは現代の地域分布上での陸と海も同様に説明しない。最初期の教えでは偉大なアトランティスが破壊され、地表は少なくとも一回以上、大きく変動したとされている。 ジブラルタル海峡が出来上がる前に、エジプトのデルタ地帯と北アフリカ一帯はヨーロッパとつながっていた。さらなる地殻変動がヨーロッパの地形を完全に変えてしまった。

 

 最後の重大な変化が約1万二千年前に起き、プラトンの言う小さなアトランティス島の水没が続いた。この島の名称は本大陸のアトランティスにちなんでプラトンが名づけた。太古においては、地理学も秘教の一部だった。“ゾハール”(3.、fol 10a)は“これらの秘密(大陸と海に関する)は、秘密の科学の人に伝わったが、地理学者へは明かされなかった”と述べている。

 

 肉体としての人間は、前第三紀には途方もない巨人であったという主張や、人間は1800万年前から存在したという主張は、現代的な学識の賛美者や信奉者達にとっては、非常にばかげたことであるにちがいない。

 

 生物学者たちと同調者たちは、この第三人種の二番目の世代と言う概念を追い払う、空、海、および陸に存在する怪獣と供に戦うのに適した存在、つまり巨人族の祖先たちはー[アトランティス人のエーテル*的(精妙的)原型]―であったので怪獣たちから傷つけられることがなく恐れる必要もなかった。

 

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 *註ethereal・・現代科学のエーテルではなく神智学のエーテル

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 現代の人類学者は、私達の巨人を聖書のアダムと同じように、全く持って笑い飛ばすだろう、だがそれは、神学者が自分の祖先である類人猿を笑うの同じことである。秘教主義者と、それらの厳しい批評家とは、今回、その根拠の上でほぼ互角になっただろう。秘教の科学はわずかな主張しかしないが、ダーウィン流の進化論や聖書神学よりも多くのものを伝えている。 秘教の年代記は、誰かを怖がらせるようなことはしない。 それというのも、年代に関しては、今日の最高権威者たちですら、地中海の波のように不安定で不確かだからである。

 

 地質学的年代だけにかぎるなら、英国学士院の博学な人たちは、人類の起源がいつなのか、その年代決定をめぐって、あたかも航海中に絶望的になるように、100万年から五億年の間のどこかに飛んだりしている。 いまのところ効果的であろう事例を、一つ取りあげる、それはクロール氏の計算である。

 あるアメリカの地質学者がクロール氏に言わせとことだが、この権威によると、第三紀つまり始新世がはじまってから250万年経っていると述べている。しかし、イギリスの地質学者は、クロール氏による“始新世が始まってから500万経っている”ものを引用している。シークレットドクトリンは、どちらの年代もカバーしている。

 

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  *訳者註・・原文のまま500万としておく。

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 後者にしたがうならば、現在の日付においては、偉大なアトランティス大陸の最後の巨大な半島が水没してから、約850,000*となる。第四人種の初期と最終的な発展の間の400万年から 500万年まですると割り当て、アトランティス島の大陸の年代割り当ては、第五人種、またはアーリア人種のための100万年、これらは、容易にクロール氏により容認された第三紀が1500万年以内に、起こったといえるのかもしれない。

 

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  *訳者註・・原文のまま850,000としておく。

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 わたしたちにとっては、年代記の中の順番が重要なのであり、時間的な長さは二次的な重要性しかない、結局、それを頼りにする特定のアメリカの科学者がいる。 これらの紳士たちは、それらの主張が疑わしくは無いだろうが、不合理な事実であろうもので動かしようが無く、人間が第二紀にはすでに存在していたという主張を譲らなかった。 彼らは、当時形成された岩石に人間の足跡を見つけた、さらに付け加えるなら、M. ド・カトルファージュ氏は、第二紀に人が存在していなかったとする科学的な理由は全く見られないと指摘している。

 

 地質学の“年代”と期間の設定は、まともな真実だとしても、純粋に便宜上の用語である、それらがまだほとんど定義されておらず、さらに、二人の地質学者または自然主義者たちは数値について認めない。従って、秘密主義者は、博学な団体から、大幅な自由を与えられているのである。わたしたちの支持者であるT. M.リード氏をとりあげましょうか? この紳士は、氏自身が1878年に英国学士院で読み上げた“地質学的年代の指標としての石灰岩”に関する論文のなかで、堆積物の層が形成されて、カルシウム物質が除去されるまでには、少なくとも六億年を要すると主張している("王立協会会報“ロンドン、28巻p 281参照)、あるいは、ダーウィン氏の学説に従うとすると、有機変化が起こるには理論上3億年から5億年を要すると述べているではないか?

 

  C.ライエル卿とホートン教授は、カンブリア紀の始まりを2億から2億4000万年前に設定することに満足している。 地質学者と動物学者は、ハクスリー氏を通して、地球の始まりを結局10億年前に設定している、たとえ千年たりとも譲歩しないだろう。

 

 わたしたちにとっての主要なポイントは、自然科学の研究者たちと、地質学的な年代について、あるいはそれに類することについての意見の一致、不一致であるかどうかではなく、むしろ不思議な、一致がそれらのなかに完全にあることの方がとても重要である。 彼らすべてが一致している事は、“中新世の年代”は100万年から1000万年前であるということだが、わたしたちの第二大陸、ヒュペルボレア大陸の残りであるグリーンランドスピッツベルゲン島でさえも“ほとんどが熱帯気候だった。”

 

 ホメロス以前のギリシア人は、アポロが毎年旅行した、この“永遠なる太陽の地”の鮮明な伝統を守っていた。 中新世の間、グリーンランド(北緯70度)には、イチイ、イチイモドキ、カリフォルニアの品種と類縁関係にあるセコイア、ブナ、プラタナス、柳、樫、ポプラ、クルミ、マグノリア、ザミアといった木々が生い茂っていたと、科学においては述べる。ひとことでいうなら、グリーンランドには北方では知られていない南方の植物が生い茂っていたということである。 そして、当然のようにつぎの疑問がわいてくる。

 

 ギリシア人たちはホメロスの時代にヒュペルボレア大陸の、ボレアス神たち(冬と吹雪の神)を越えたのはるか向こうにある土地、後期のギリシア人たちと彼らの古典が、スキタイ国の向こうに、無駄な試みにより捜し求めた理想的な土地は、夜は短く昼は長い土地であり、その先の土地では、太陽は決して沈まず、ヤシは、のびのびと成長した、彼らの時代に彼らがこういうことを知っているならば、いったい誰が彼らにそれについておしえたのだろうか? そして、それに先立つ時代も、すでにグリーンランドは、決して解けない氷と永久の雪で被われていた。

 

 すべてのことが、短い夜と長い昼の地であり、そして、それを越えて永遠の光と夏で祝福された地であるところが、ノルウェーまたはスカンジナビアであったことを示す向きがある、そして、これを知っているということは、ギリシア人の伝承は、ギリシア人より古い時代の種族から伝わったにちがいない。そして、それらの古代種族、はギリシア人が全く何も知ることができなかったそれらの気候的な詳細を知っていた。 我々の時代でさえ、科学は、北極のまさしくその環状の境界線内で、決して凍結しない海およびずっと緑色の大陸の存在を疑っている。

 

 太古の教えは、―後者の寓話を理解する人のためにー『プラーナ』と同様の記述がある。そして、グリーンランドがほとんど熱帯の領土であった時に、現代の科学の中新世とよぶ期間に、今日の歴史には知られていない未知の人々が住んでいたという可能性が十分に高いのであろう。

 

 

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[注] 読者は知っておいてほしい、それはシークレット・ドクトリン第2巻の第一部が時間的な順序関係に厳密に従っていないことである。 H・P・ブラヴァツキー

 

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おわり

 

 ◎訳者よりーこのシークレット・ドクトリンの予備的ノートは、2012年3月に書いたSNS(mixi)日記を編集してこちらにまとめたものです。